記事「巴川 橋」 の 検索結果 26 件
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巴川に架かる橋 26清水港から数えて26番目の橋は流通大橋です。昭和50年、敷地23万㎡に61社の有力企業を勧誘して静岡流通センターが完成しました。そのときの入口としてこの橋が竣工しました。ここには浅畑川が合流しています..
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巴川に架かる橋 25清水港から数えて25番目の橋は長崎鼻橋です。川合山が象の鼻のように見えたので長崎鼻と言った。そこに架かる橋だったのでこの名前が付いたと言われている。長崎鼻橋と流通大橋の間には安東川が流れ込んでいる。
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巴川に架かる橋 24清水港から数えて24番目の橋は上土橋です。昭和39年3月に竣工している。上土の町名は巴川の土を浚って上げた場所から来ていると伝えられている。
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巴川に架かる橋 23清水港から数えて23番目の橋は八千代橋です。この橋の下には沢山の鯉の姿が見られます。
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巴川に架かる橋 22清水港から数えて22番目の橋は新巴橋です。昭和46年9月に竣工しています。
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巴川に架かる橋 21清水港から数えて21番目の橋は巴橋です。巴橋の下流に昔は舟の荷物を上げ下ろしする舟だまりがあって子供達の恰好の遊び場だった。ここで泳いだり舟遊びを楽しんだらしい。
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巴川に架かる橋 20清水港から数えて20番目の橋は巴大橋です。平成7年3月に竣工と新しい橋で瀬名町から三松までの北街道バイパスに架けられた。
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巴川に架かる橋 19清水港から数えて19番目の橋は東橋です。ここは自動車は通れず歩行者と自転車だけの通り道になっている。巴川の周辺には現在、地名になっている武士団が住んでいた。高橋、渋川、飯田、大内、入江、吉川、船越、三..
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巴川に架かる橋 18最初の東海道は興津から横砂、草ヶ谷、山原、梅ヶ谷に出て柏尾峠を越え瀬名宿を通り沼上、麻機を通って駿府に出た。現在の東海道は徳川家康が駿府に来て江戸~京都間に五十三宿を設け東海道は横砂から辻、江尻、入江..
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巴川に架かる橋 17駿府城築城には巴川を使って沢山の石が運び込まれたが舟で運ぶ途中誤って落とした石は落城につながるとしてそのまま放置された。一つは巴川製紙の門柱になり一つは長尾川の土手近くに「切石」として展示されている。..
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巴川に架かる橋 16瀬名川では正治2年(1120年)京へ向かう梶原景時一族と地元、入江一族との合戦が行われ源頼朝の腹臣だった梶原景時ら33人はこの地で全滅した。現在、地元武士たちに矢を射かけられた矢射たむ橋の碑が残ってい..
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巴川に架かる橋 15清水港から数えて15番目の橋は鳥坂から楠に架かる久保橋です。昭和52年3月に完成しました。車のすれ違いは出来ませんが生活道路として貴重な橋です。第5期巴川改修工事は明治44年1月から44年5月まで行わ..
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