記事「幕末」 の 検索結果 1454 件
-
中岡慎太郎 その8 29歳 薩長同盟■薩長連合は中岡が画策したが、、 高杉晋作らのクーデターにより、長州藩は再び尊王攘夷派が藩を掌握することになった。 幕府は再び長州征討を決定する。 慶応元年(1865)5月13日..
-
中岡慎太郎 その7 28歳 時勢論 高杉晋作現場主義というか、、かって、、庄屋になった慎太郎は農民のために最善を尽くした、、 現状を打破するために、、尊攘派として行動を起こした、、そして、、今は、、五卿と共に三田尻にいる、、必死に時勢を見てい..
-
中岡慎太郎 その6 27歳 西郷との出会い■池田屋事件と禁門の変(長州の御所襲撃) 長州藩では、三条実美や尊王攘夷派公家の赦免を求め、藩主の冤罪を雪ぐ「新発論」を木島又兵衛が進めていたが、、池田屋事件(※幕末の1864年7月8日(元治元..
-
中岡慎太郎 その5 26歳-2 脱藩混乱は続く、、、 ■寺田屋騒動 寺田屋は薩摩藩の常宿である。 後に、坂本龍馬が襲撃されたのも、、この寺田屋だ、、、 ----------- 文久2年、、藩兵千名を率い上洛した島津久光..
-
中岡慎太郎 その4 26歳 五十人組江戸城下の治安が、、乱れ始めた、、幕府改革の重要な課題に、参勤交代制度の転換が挙げられていたが、、諸大名に負担の大きい参勤交代制度を、、3年に一度に改める、、また、、江戸に置かれた家族の帰国を許す..
-
中岡慎太郎 その3 24歳 土佐勤王党時世は大きく動いている、、、 鎖国か、、開国か、、国論は割れるが、、幕府大老井伊直弼は列強からの圧力に耐えられず日米通商条約、和親条約に踏み切る、、と同時に、、国論統一のために一橋派への政敵弾圧を進..
-
中岡慎太郎 その2 18歳 庄屋見習い慎太郎の生家は、、北川郷内14ケ村、戸数649 人口2799人 地高400石 ばかりか、近隣奈半利川甲浦の庄屋たちの元締めでもあった。 裕福な名家の坊ちゃんではあるが、厳しい勉学と、、父からの躾によ..
-
中岡慎太郎 その1 15歳 田野学館■田野学館 「いまーのご公儀のまつりごつは、この海を狭くし、我が国を世界から取り残そうとしておる愚策じゃき」 間崎哲馬の物言いは、いささかの揺るぎもなかった。 15歳の慎太郎は心酔し..
-
松陰、、倒幕への狂気次回NHK花燃ゆを先取りしてみる、、、 勅許を得ぬまま、、井伊大老は日米通商条約締結を決断する、、、これをきっかけに尊王攘夷派は、、先鋭化する。 実務派とすれば、、病弱のうえ子供のいない徳..
-
龍馬の最後の手紙「暗号説」を支持はするが、、高知県立坂本龍馬記念館を訪れた際に、、、記念館が発行した「坂本龍馬書簡集」を購入して持ち帰った、、、展示場には直筆も多数あったが、、、その中で、、 慶応3年11月13日、、龍馬暗殺2日前に、、、陸奥..
-
戸定邸(徳川昭武旧居)と徳川慶喜<1867.12.21 ロンドンのニュース> 常磐線松戸駅から徒歩10分の小高い丘の上に重要文化財に指定されている「戸定邸」(tojotei)がある。 徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜の..
-
永井玄蕃と、龍馬暗殺、、幕府のストレスは非正規と零細組織に向けられた京都町奉行にして大目付、、旗本若年寄、、かっては、長崎海軍伝習所の総監理(所長)、外国奉行、軍艦奉行、、、を歴任した、、超大物、、永井玄蕃頭尚志、、は作家三島由紀夫の高祖父(4代前の直系)でもある。 ..