記事「教行信証」 の 検索結果 53 件
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後生くらい心とは?『弥陀の誓願で苦悩の根元の無明の闇を破られ、未来永遠の幸福になるのが、人生の目的である』ということで教行信証の冒頭のお言葉の現代語です。 ということで、ここに浄土真宗を開かれた親鸞聖人があると仰有っ..
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絶対変わらない金剛心絶対に崩れないので、金剛の信心とも言われます。金剛石といえばダイヤモンド。そのうち好きな人ができたら、ダイヤモンドちょうだいっていわれるよ。金剛の信心とはかわらない信心。まことの信心。だからダイヤモン..
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阿弥陀如来の19願阿弥陀如来の本願の真実と方便について阿弥陀如来の48願の中、18願が真実。方便は次の19願20願。 では19願にどういうことを誓われているか、18願はもちろんだけど、この19願というのはツラツラに書..
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親鸞聖人・蓮如上人の心がけ親鸞聖人、蓮如上人が、常に心がけておられること、「如来二種の回向をどうしたら十方衆生に徹底できるか」如来二種の回向とは、阿弥陀如来の本願のこと。阿弥陀如来の本願を、いかにして十方衆生に徹底するか。阿弥..
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信心決定したらすごく嬉しかった。信心決定したらこう思った。親鸞聖人は、教行信証にこう言われています。 慶ばしき哉。心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよ..
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阿弥陀仏に救われても死にたくない?案悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近くことを快まず。恥ずべし傷むべし。(教行信証信巻) 真に知んぬと言うのは、今親鸞ハッキリ知らさ..
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自力の仏教では助からない件自力の仏教を求める人、後生の一大事の解決を目指す上においては、まったく同じ。 ところが、その心構え、覚悟、仏教の先覚者は、とてつもない覚悟で求めておられる。 親鸞聖人は、自力の仏教である天台宗の比..
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阿弥陀仏はどんなご苦労をされたのか大悲というのは大慈悲。大慈悲と人間の慈悲の違いは三つある。1相続しない2狭い相手にしかかからない慈悲3盲目の慈悲大慈悲はこの反対。 必ずすべての人をこの船にのせてみせる。すべての人をこの船にのせるた..
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往相廻向と還相廻向についての反省我が歳きわまりて安養浄土に還帰するというとも和歌の浦曲の片男波の寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり。我なくも法は尽きまじ和歌の..
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なぜ人生の目的が信心決定なのか。信心決定というのはどういうことか。 まず、人生。人が生きると書いて人生。この記事が読める人はみんな人。つまり、人が生きることに、目的がある。 何かに向かって生きている。目的ですから。よく目的地とい..
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信心決定するまでの心の変化舎利弗、小善根福徳の因縁を以っては、彼の国に生まるることを得べからず。(阿弥陀経) 小善根福徳の因縁とは、我々のやる善。我々のやる善は雑毒の善だから、小善根といわれている。だからそれでは極楽浄土へは..
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信心決定したらこうだった信心決定したらどうなったのか、親鸞聖人は、不可称不可説不可思議の信楽と仰有っています。 凡そ大信海を按ずれば、貴賤・緇素を簡ばず、男女・老少を謂わず、造罪の多少を問わず、修行の久近を論ぜず、行に非ず..