記事「旧日本軍」 の 検索結果 255 件
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(67) Bandara Dai Nippon(67)東ティモールポルトガル領ティモール(現東ティモール民主共和国)の東部、ラウテン(Lautem)に日本軍が造成した飛行場は、いわゆる“秘密飛行場”だった。同地は、昭和17(1942)年の9月頃から第3飛..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(66) Bandara Dai Nippon(66)東ティモール昭和17(1942)年2月20日、日本軍・東方支隊(陸軍第38師団第38歩兵団長・伊東武夫少将)とパラシュート部隊を含む海軍部隊が、ティモール島西部の、蘭領ティモールのクーパン(Kupan..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(65) Bandara Dai Nippon(65)ロテ島日本軍によるティモール島占領以前、蘭領ティモール(ティモール島西部)には、すでにオランダが造ったクーパン(プトン)飛行場、そして中部地域にアタンブア(Atambua)飛行場があった。占領後..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(64) Bandara Dai Nippon(64)クーパン昭和17(1942)年2月20日、西のクーパン(Kupang)、そして東のディリ(Dili)へ日本軍が同日上陸。これ以前、日本軍は、2月14日、スマトラ島南部のパレンバン(Palemban..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(63) Bandara Dai Nippon(63)クーパン大東亜戦争の開戦時、大本営は豪北(オーストラリアの北方)方面では、ティモール島については、西半分の蘭領ティモールのみの占領を計画した。というのも、蘭領ティモール内にある飛び地(オクエシ)と..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(62) Bandara Dai Nippon(62)クーパン米領フィリピンや英領マレー・シンガポールを制圧し、蘭印(オランダ領インドネシア)を攻略する、いわゆる南方進攻作戦は、その最大の目的が石油資源の確保だった(注:開戦約4ヵ月前の昭和16(19..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(61) Bandara Dai Nippon(61)ブル島アンボンの西およそ100kmに浮かぶブル(Buru)島。スハルト時代のインドネシアでは“恐怖の島”だった。ここは1965年の「9月30日事件」に連座したとしてB級政治犯(TAPOL)となっ..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(60) Bandara Dai Nippon(60)アンボンアンボンを占領した日本海軍は、セラム島北岸のブラ(Bula)にも飛行場を造った。ブラ(Bula)は、現在、マルク州東セラム県(Kabupaten Seram Bagian Timur)に属..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(59) Bandara Dai Nippon(59)アンボンセラム(Seram)島中西部の南岸にアマハイ(Amahai)は位置する。エルパプティ(Elpaputih)湾の東南の岬付近に、陸軍は飛行場を造成・設定した。この飛行場は、アンボン島北端のリ..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(58) Bandara Dai Nippon(58)アンボンアンボン(Ambon)島の東、そしてセラム(Seram)島の南に、三つの小さな島が連なる。西からハルク(Haruku)島、サパルア(Saparua)島、そしてヌサラウト(Nusa Laut..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(57) Bandara Dai Nippon(57)アンボン豊かな地域は、それが天然資源であり、香辛料であろうと、その昔より列強大国の牙の餌食にされてきた。アンボンを核とする、バンダ海周辺海域も例外ではない。オランダの東インド会社(VOC)に代表さ..
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(56) Bandara Dai Nippon(56)アンボン昭和17(1942)年1月11日、蘭印(オランダ領インドネシア)攻略作戦の緒戦として、まずボルネオ(現カリマンタン)東部の油田地帯であるタラカン(Tarakan)島と、セレベス(現スラウェ..