記事「東京市政調査会」 の 検索結果 33 件
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猪間の終の棲家、再訪一昨日、編集者の方とご一緒に、猪間驥一のご家族を再訪しました。目的は、評伝に使う写真等をお借りするためです。 1961年、5ヵ月に渡ってヨーロッパ諸国を旅したときの感想をつづった、私家版の『折り鶴の..
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鈴木武雄、謎の氷解3次は、東京市政調査会に入ったいきさつについて。 これも簡単なことで、「実は土方先生が市政調査会に推薦してくれた」というのです。 私自身には、二重の意味で驚きでした。土方成美が市政調査会につながりを..
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鈴木武雄、謎の氷解1鈴木武雄は、猪間驥一研究の初期の段階から気になっていた存在ではありました。 東京市政調査会では同僚の研究員であり、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』をともに編纂した間柄でしたが(代表委員がお互い..
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授賞式のスピーチ原稿一年前、河上肇賞奨励賞をいただいたときのスピーチ原稿が出てきました。このところ猪間驥一の評伝にかかりきりになっていましたが、私が本来やろうとしていたことはこういうことだったと改めて思いましたので、載せ..
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田園調布の猪間の家池田宏、渡辺鉄蔵の住宅美協会が実施したプロジェクトとの関連、となれば後藤新平の都市計画との関連も想像されますが、猪間は、東京市政調査会時代、同僚3名とともに、4人が単位の住宅組合を作り、お互いを保証し..
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猪間驥一の職歴東大を追われてからの猪間の足取りを、職歴を中心にまとめると以下のようになります(重複が多くて申しわけありません)。こうして見ると、渡辺鉄蔵との関わりがそうとう強いことがわかります。 前回、東京市政調..
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猪間驥一という人⑪猪間は、1920年代後半の妊産婦保護事業研究の後、席は東京市政調査会に置いたまま、1930年に設立された、上田貞次郎の日本経済研究会(通称、背広ゼミナール)に参加します。 人口問題研究を本格的に始め..
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猪間驥一という人③当時、こうした妊産婦保護事業の調査研究を行なっていたのが、東京市政調査会の研究員、猪間驥一でした。彼は、機関誌『都市問題』にレポートを次々に掲載し、それが1928年、『都市に於ける妊産婦保護事業』(東..
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20年代の母子保健妊産婦保護事業、乳幼児保護事業の先進国であった、ヨーロッパ諸国では、1800年代末より、様々な試みがなされ、成果をあげていました。 こうした情報は、日本にも、相当な精確さをもって伝えられており、当時..
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