記事「河井継之助」 の 検索結果 73 件
-
北越戊辰戦争(4)上洛の理由は、270年来の徳川家の恩顧に報いる時であり、政権を再び徳川家に帰すべきだという建言を行う為であった。 12月15日、牧野忠訓は徳川慶喜のいる大坂城へ昇り、老中板倉勝静(かつきよ)に..
-
北越戊辰戦争(3)長岡藩執政河井継之助が着々と藩政改革をすすめる中で、時代は急変する。慶応3年(1867)10月、徳川15代将軍慶喜は政権を朝廷 に返還し(大政奉還)、270年間続いた江戸幕府は終わりを告げた。 ..
-
北越戊辰戦争(1)平成24年(2012)11月2日、アメリカ・ハワイのホノルルで、旧帝国海軍聯合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を指揮した山本五十六の故郷・新潟県長岡市とホノルル市の姉妹都市提携の調印式が行われた。 ..
-
タマリスの汚れや皮脂をしっかりオフし、髪をなめらかに洗い上げるシャンプー!!去年、岡山県は高梁市の備中松山城に行きました😃🎵 備中松山城は国の重要文化財8城の1つで幕末の老中、板倉勝静候が出た事でも知られ、また陽明学者、藩政改革者、教育者として活躍した山田方谷先生の..
-
司馬遼太郎 『峠』(小説)司馬 遼太郎 (著) 『峠 (下巻)』を読む。 上巻から中巻と読み進んでやっと下巻を読み終えた。本書を読むまで幕末期の越後長岡藩牧野家の家臣で家老の河井継之助(かわい つぐのすけ[つぎの..
-
佐久間象山佐久間象山 松代藩の下級武士の家に生まれた象山は儒学・数学などの学問を学んだ。天保13年(1842年)、松代藩主真田幸貫が老中になった時に洋学を学ぶように命を受け、江川太郎左衛門や高島秋帆の元で兵学..
-
峠(中)旅から帰った継之助は,長岡藩に戻り重職につく. 「私にとって大事なのは長岡藩なのだ」 藩政改革を一手に引き受け,藩の財政を潤し… 横浜の武器商人から最新の武器を購入し… 「小藩..
-
峠(上)越後長岡7万4千石… その小藩の,さらに100石ほどの小禄の家の男が 幕末の混乱期に家老に抜擢され,藩の行く末を左右し… ついには戊辰戦争最大の激戦と言われた北越戦争の主役となる. ..
-
天地人の次は・・・「天地人」終わりました。 「篤姫」にはかなわなかったものの視聴率もいい線いったんじゃないないでしょうか。 日曜日、バイトの女の子が「今日何時に終わりますか?」 何があるのかと思ったら「天..
-
今日は新潟の朝です。 写真は途中の赤城高原パーキングにいた「からっ風 ブー次郎」ってキャラらしい。 新潟といえば、司馬遼太郎作品の「峠」で描かれている、幕末の長岡藩家老、河井継之助が思い..
-
「河井継之助―駆け抜けた蒼竜―」年末に時代劇が久しぶりに観られます―今年の年末に「河井継之助―駆け抜けた蒼竜―」というドラマが放送されます。 年末の時代劇っていうと、その昔に「白虎隊」「田原坂」「奇兵隊」「五稜郭」などがすごく..
-
長岡、出雲崎・冬の逍遥■長岡 長岡出身の知名人といえば山本五十六、米百表の小林虎三郎がいるが、辿りたいもの何と言っても河井継之助だ。 もっぱら司馬遼太郎の「峠」での知識しかないが、時代に早すぎ、戊辰戦争で八十里越え..