記事「浅田惟季」 の 検索結果 20 件
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飯塚~鹿沼にて、壬生の使者同じ事柄でも、書く人により印象が異なる。 というのを如実に表すのが、壬生の使者や栃木における、大鳥圭介と浅田麟之輔の描写です。 慶応4年4月11日の脱走後、報恩寺、竪川を経て市川参集後、前..
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母成峠、檜原西会津の流離 その2母成峠後、米沢以降の大鳥と伝習隊。続きです。 大鳥ルートは、米沢→綱木→檜原→大塩→塩川→慶徳→木曾→陣ケ峰・泥浮峠→長窪→小田村・塩川→大塩→檜原→秋元原→土湯村→鳥渡村→福島→桑折→白石→仙..
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母成峠、檜原西会津の流離 その1母成峠の戦い以降。大鳥と伝習隊が、会津を見捨てたとか、無邪気に榎本艦隊に合流したとか、特に新選組を題材にしたメディアが絡む度に、何かと誤解が広められているように思います 資料からから..
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北戦日誌の山入村戦その2山入戦続き。浅田惟季北戦日誌(緑)と大鳥圭介南柯紀行(青)を重ね合わせながら進めます。記述の前後違いは若干あります。 この本宮・山入村派兵の後。南柯紀行より。 「八月中旬、余既木地小屋..
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北戦日誌の山入村戦その1Twitterで、母成峠の戦いの前日に行われた山入村の戦いについて触れました。戊辰戦争にて会津の国境が破れた致命的な敗戦であったとされる母成峠の戦いですが。その前日にあった戦闘はあまり注目されてい..
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北戦日誌 山入村の戦い背景Twitterで、母成峠の戦いの前日に行われた山入村の戦いについて触れました。戊辰戦争にて会津の国境が破れた致命的な敗戦であったとされる母成峠の戦いですが。その前日にあった戦闘はあまり注目されてい..
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日光への敗走現場から戻って以来、無味乾燥なデータ作りと報告書書き生活です。 朝食時などに浅田惟季北戦日誌草稿を少しずつ読んでますが、これがあるおかげで、なんとか生活に潤いを見出せています。 それで、色々と..
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壬生宇都宮の再確認ティンプーに戻っています。 久しぶりのネット環境を満喫するため、というわけではありませんが、久しぶりに更新二点。 一つはこちらでご紹介しました、箱館戦争の名簿である「函館脱走海陸軍忽人名」の、..
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北戦日誌草稿 柿沢の啖呵色々止まっております。申し訳ないです。 明日から現場に戻ります。 途中帰国してから、部内の管理と他の案件の補助作業と研修生の相手などに明け暮れてまして。自分のプロジェクトの作業が全く進んでいな..
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お墓参りと乙葉林八相変わらず滞っております。 書くことがありすぎる状態でして。どこから手をつけてよいか、手をつけようとすると長くなってまとめようがく、そのまま寝てしまったり。 それ以上に、今後、興味の対象にどの..
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浅田惟季 その6「北戦日記抄」2少し間が開いてしまいました。浅田惟季北戦日記抄、復古記で飛ばされてしまっている分です。不明な字が多いのはお許し下さい。いつもの通り、こうではないか、というのがありましたら、どうかご教示ください。 ..
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浅田惟季 その5「北戦日記抄」さて、本題です。 「浅田惟季 北戦日記抄」 「明治元年」と表紙にあります。また、スタンプに「明治四十五年三月二五日寄贈」とあります。 明治の最後の年に、東京帝国大学史料編纂所にもたらされたも..
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