記事「渡辺鉄蔵」 の 検索結果 30 件
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“10日間限り”の森戸事件森戸事件に関する新聞記事ですが、猪間驥一にスポットライトを当てて、時系列に並べると、実に興味深い事実が浮かび上がってきました。今書いている論文に収録するためにまとめてみましたので、ご覧いただければと..
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森戸事件と大内兵衛の欺瞞2ところが、左派の学生団体、新人会が動き始めて様相が変わってきます。 一たびこの事件が起るや、一般ジャーナリズム、特に新聞は実にやかましくなってきた。また雑誌『我等』は火蓋を切ってこの問題を扱い、..
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森戸事件と大内兵衛の欺瞞1前回取り上げた大内兵衛の3冊の本のうち、『私の履歴書』には森戸事件の概要がまとめられており、これを当時の新聞記事と照合すると、大内のごまかしがはっきり見えてきます。 それでいよいよ森戸君と僕は起..
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河合栄治郎クーデター事件猪間驥一の東大追放事件から1年余り後に起った「河合栄治郎のクーデター」、このことについてはすでに書いているのですが、正確さに欠けるところがあったので、あらためて整理しておきます。 1922年11..
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猪間驥一と森戸事件の真実③森戸辰男の『思想の遍歴(上):クロポトキン事件前後』を読めば読むほど、森戸への疑問がわいてきますので、ほんとうはここまで範囲を広げたくないのですが、思いきって書いておきます。 私が一番ひっかかっ..
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猪間驥一と森戸事件の真実②◆渡辺鉄蔵への驚き 渡辺は、森戸辰男のクロポトキン論文が、論理も学術的価値もないと批判し、反共主義者でもあるので、黎明会の一員として、どのように折り合いをつけたのか、知りたいと思っていました。 ..
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森戸事件と猪間驥一の意志2森戸事件: 1919年 12月東京大学経済学部の学術機関誌『経済学研究』創刊号に,経済学部助教授森戸辰男が発表した論文『クロポトキンの社会思想の研究』をめぐる筆禍事件。学内右翼団体興国同志会の上杉慎..
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「経済倶楽部だより」より①最近、1930年代の『東洋経済新報』を読んでいるのですが、その中からこぼれ情報をいくつか。 1933年2月、日本が国際連盟からの脱退を表明した後、自由主義経済学者たちは国際会議への参加によって諸..
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猪間驥一の何がすごいのか3●猪間驥一の関わった人々(戦後1950年代まで) 【大蔵省・在外財産調査会】 石橋湛山:在外財産調査会設立時、第一次吉田内閣の大蔵大臣。編纂の途中で公職追放になる。なお猪間は、1950年、東洋経済..
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猪間驥一の何がすごいのか2猪間驥一の業績をまとめたついでに、戦前・戦後にわけて猪間の関わった人々について、メモしてみました。それぞれ有名な人々ですが、それはWikipedia等でチェックしていただくとして、ここでは、あくまでも..
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30年代の農村工業化論争3ここで自由主義経済学者たちの、農村工業化、アウタルキーに対する考え方をまとめておきます(すでに書いているかもしれません。重複があったら申しわけありません)。 石橋湛山・上田貞次郎についてはここでは省..
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渡辺鉄蔵と浜口内閣デフレ策渡辺鉄蔵が、浜口内閣のデフレ政策の策定に関わっていることに気づき、大正リベラリズムの2つの潮流(黎明会系/東洋経済新報系)がそのまま、金解禁論争における旧平価金解禁派と新平価金解禁派の対立、浜口内閣デ..
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