記事「自伝」 の 検索結果 382 件
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道後・農事試験場(2)~構内配置図など~【農事試験場の構内配置図】 ぼくらが遊んだ農事試験場は、いまや思い出の中にしか残されていない。 その構内配置図を、思い出すままに描いてみた。どこかに資料でもあろうかと、探してみたのだが、見つけるこ..
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道後・農事試験場(1)~周辺の歴史~先日来、何度か、子供時代の思い出が濃縮された一帯を歩いてみた。松山市の道後公園から上一万にかけての電車通り沿い、およびその北側一帯である。かつての農事試験場周辺といってもよい。 すでに半世紀が経過し..
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テニスコートの記憶【テニスに夢中】 ぼくはある時期、そうだ、今となってはある時期としか言いようのない過去完了のある時期、テニスに夢中になっていた。持病が突如最悪の事態を引き起こし、倒れ込むように入院してしまうまでの2..
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古時計の話腕時計、柱時計、置き時計、目覚まし時計。いまわが家にいったいいくつの時計があるのだろう。数えたこともない。数えようとも思わない。動かなくなった時計も数かぎりない。捨てられることもなく、引き出しの奥に眠..
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新鮮な体験先日、好天に恵まれて、ぼくが通う教会でバザーがあった。 どの年も、たいていぼくはコーヒー係をやってきた。大型のコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、熱湯で温めたカップにコーヒーを注いでは、チケットと交換..
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地球儀の歌地球儀には懐かしい思い出がある。 小学4年生のとき。 ぼくが母に「地球儀がほしい」と言ったのだろうか、それとも母が「地球儀を買ってあげよう」と言ったのだろうか。おそらく前者だ。家には経済的なゆとり..
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鐘の鳴る丘先日見た映画『君の名は』。その原作とも言えるラジオ放送は、1952年4月から1954年3月まで、丸2年間続いた。空前絶後の国民的大ヒット番組であった。 放送が流されていた2年間は、いま思うと、ぼくの..
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杏夏へ ~35年目の涙~還暦ってわかるかな、杏夏。 じいちゃんは、日本がアメリカや中国と戦った戦争が止んでしばらくした1948年2月にこの世に生まれてきた。だから、いま還暦を少しすぎたところなんだ。還暦というのは六..
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『パタゴニア探検記』のこと(1) 半世紀も忘れ去られたまま一度も想起されることのなかった記憶なんて、もはや記憶の体をなしているはずはなく、溶けて流れて無に帰しているはずと、昨日までのぼくなら考えていたかもしれない。だが、人..
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朝の香り(1) 朝は得意な方でない。目一杯寝ていたい方だ。5分おきに鳴る目覚ましの4回目あたりでようやく起きる。もう間に合わないという極限の時間である。 だが、休日となると話はまったく違ってくる。..
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窓辺書斎は2階にあり、隣の日本間とはガラス引き戸でつながっている。その日の気分で二間のどちらを使うかを決める。書斎が二間あるという言い方もできる。新築したのは36の時だった。早いもので、もう四半世紀であ..
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一枚の写真からアルバムにも貼らず、菓子箱に詰め込んだままにしていた古い写真の中から、懐かしい一枚を見つけ出した。右がそれである。裏に鉛筆書きされた日付を見ると、昭和三十四年一月。五年生の冬である。撮られた記憶はあ..