記事「蓮如」 の 検索結果 84 件
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仏法を伝えるときの気持ちとは?こういった厳しさは我慢、我執の通すためではないとおっしゃっている。これは慈悲に裏付けられている。 後生は一人一人のしのぎ誰も変わりは聞きませんよ。いま、果たすべき目的があるから、いい加減なことではい..
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明日に先延ばし?仏法に明日はない仏法に明日はない。明日でいいやないかというけれど、明日がないというときが必ず来る。真実は明日はない。 今日はちょっと調子が悪いから明日頑張りますという人がいるけれど、明日がないという気持ちになって、..
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人生の目的を果たした喜びはケタ違い嬉しさを昔は袖につつみけり今宵は身にも余りぬるかな これは蓮如上人が教えられる歌なんですけどね。もとは蓮如上人ではありませんが。奈良時代にあった歌を仏教に転じて、転用されて用いられた。 この歌で信..
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されば朝には紅顔あって、夕には白骨となれる身なり蓮如上人の白骨の章にこうあります。 されば朝には紅顔あって、夕には白骨となれる身なり 朝、血の通った顔で「いってきます」と行った人が、夕べには冷たくなって帰ってくるという人がいる。変わり果ててしま..
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阿弥陀仏に救われても死にたくない?案悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近くことを快まず。恥ずべし傷むべし。(教行信証信巻) 真に知んぬと言うのは、今親鸞ハッキリ知らさ..
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領解文の報謝この上の称名は、御恩報謝と存じよろこび申し候。この御ことわり聴聞申しわけ候こと、御開山聖人御出世の御恩・次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩と、有難くぞんじ候。この上は定めおかせらるる御掟、一期を..
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あらゆる仏や菩薩や諸神をおろそかにしてはならない理由蓮如上人が時折、阿弥陀如来以外の仏・菩薩・諸神をおろそかにしてはならぬと言われたのは、どんな意味でしょうか。 それは、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神は、阿弥陀如来の本願を勧め、その行者を守ることをもって..
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まことに一人なりとも信をとるべきならば身を捨てよ蓮如上人のお言葉。御一代記聞書115番。「まことに一人なりとも信をとるべきならば身を捨てよ、其はすたらぬ」と仰せられ候。命がけの布教、それは絶対に無駄にならない。自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真..
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一向専念無量寿仏と雑行雑修自力の心の関係仏教の結論は、一向専念無量寿仏ときかせていただきましたが、それは雑行雑修自力の心をふりすてるということと同じでしょうか。 同じです。蓮如上人の領解文にある。改悔文ともいう。 もろもろの雑行・雑修・..
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なぜ人生の目的が信心決定なのか。信心決定というのはどういうことか。 まず、人生。人が生きると書いて人生。この記事が読める人はみんな人。つまり、人が生きることに、目的がある。 何かに向かって生きている。目的ですから。よく目的地とい..
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大無量寿経の蓮如上人の解説お釈迦さまは、大無量寿経の中に、易往而無人と仰有っています。 これは大変有名なお言葉です。これは、どう読むかと言いますと、「往き易くして人無し」と読みます。而とは、けれどもという意味です。 往きや..
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掛けやぶれ、読みやぶれ御本尊をご下付していただいている人がほとんどだと思いますが、決して粗末になってはいけません。では、ずっとしまっておけばいいかというと、そうではない。 蓮如上人仰せられ候、「本尊は掛けやぶれ、聖教は読..