記事「オオナムチ」 の 検索結果 15 件
-
神々の系譜 2 鳥鳴海と国忍富(承前) 何分、カミサマ方の間の出来事なので筆者のような凡夫には到底理解しがたい部分もあるのですが、細部には拘らず古事記が伝える神話を素直に読めば、幾つかの事柄が明らかになってきます。それは、 ..
-
神々の系譜 1 オオクニヌシの妻古事記等の云う所によると『高志(こし)の八俣の遠呂智(オロチ)』を退治したスサノオは、大山積神の孫にあたる櫛稲田比売と結ばれますが、一方ではスサノオの五世孫であるとされる天之冬衣神が刺国若比売と..
-
スサノオと鉄 4(承前) これと同じようなお話しがありましたね。そうです例の「国ゆずり神話」です。17世紀と同じようなお国替えに相当する権力の交代が古代出雲で、やはりあったのでしょう。オオクニヌシが出雲を代表する..
-
出雲文字 1出雲文字というものがある、らしい。江戸後期の国学者、平田篤胤が文政二年(1819)に刊行した『神字日文伝(かんなひふみでん)』という書物に「出雲の国の石窟の神代文字」として紹介されています(上の..
-
神祇令とオオクニヌシ 3 祭政不一致(承前) 三度目の国譲りが「出雲」の地で具体化したのは神武天皇の時代から、更に数世代後、崇神天皇の時代に入ってからの事で、畿内大和で実権を握った大王家は、元々親戚筋に当たる出雲臣たちが管理していた..
-
神祇令とオオクニヌシ 2 天孫族たち(承前) 先代旧事本紀「国造本紀」には、崇神朝に天穂日命の十一世孫・宇賀都久怒が出雲国造に任じられたと書かれていますから、諸国と比べて早い時期に国造の地位を得たと思われますが、書紀が伝える「神宝事..
-
神祇令とオオクニヌシ 1 天神地祇律令制度の整備が、天智天皇の近江朝で始められていたという見方については懐疑的な意見が多いようですが、八世紀初頭(西暦701年)に大宝律令が制定され、これを基にした養老令の注釈書である「令義解」に..
-
大国主命と天津彦根命 7 少彦名命の謎(承前) それに、いつも言及しているように成文化の段階で記述者以外の「校正」作業が丹念に行われているはずで、単純ミスが見逃される可能性は極僅かなのです。また、日本書紀は葦原中国に留まった天稚彦(天..
-
大国主命と天津彦根命 5 謎解き(承前) 説明の必要も無いと思いますが、記紀が天照大神の三男に位置づけた天津彦根命の一家は紛れもなく天孫族の一員であり、神武天皇に擬せられた帝室の祖先よりも「早くに」天降ったニギハヤヒたちとほぼ同..
-
大国主命と天津彦根命 4(承前) 出雲国造が新任の折、朝廷に出て出雲の神からの祝辞を述べます。それを『出雲の国の造の神賀詞』と言いますが、その中にも大国主命という神名は用いられず『出雲の国の青垣山の内に、下つ岩根に宮柱太..
-
オオクニヌシの原像 1宋の時代、范曄(398~445)が五世紀半ば頃に著した『後漢書』東夷伝には「建武中元二年(西暦57年) 倭奴国奉貢朝賀 使人自称大夫 倭国之極南界也 光武賜以印綬」「安帝永初元年(西暦107年)..
-
オオクニヌシ考 4(承前) 天下を造った大神オオナモチ(オオナムチ)が越の八口を退治して帰るとき長江山まで来たとき、 私が造り、私が治めている国(葦原中国)はアマテラスの子孫に譲ってあげてもいい。 た..
- 前へ
- 次へ