記事「キリスト教」 の 検索結果 5029 件
-
二つの十字架キリスト教を知らない婦人が入院しました。 たまたまカトリック系の病院で、部屋には十字架像が掲げてありました。しかも個室で、夜になって消灯すると、月明かりで十字架につけられて苦しそうなイエスの..
-
天の栄冠とは・・・天国とは、人々からちやほやされること? いいえ、見放され、無視され、軽蔑されても志を貫くこと。これでは言いすぎでしょうか?これならまるで地獄ですね。しかし、愛する人々を大切にする結果、自分を..
-
信仰の戦い私は平和を持ってきたのではない。戦いである。 イエスは、この言葉で永遠の生命を得るために戦いが不可欠であることを示しました。聖パウロは、これに答えるように自分の生涯を振り返っています。「わた..
-
スポーツ精神で!聖ホセマリアは若者にこの言葉で信仰生活を勧めました。 試合は楽しいけど、練習は厳しくて辛くて怠けたいことがあります。スポーツをしたことがある人なら誰でも経験したことがあると思います。野球の野..
-
何度でもやり直す!聖ホセマリアも修徳の戦いをスポーツに喩えました。 大衆を前に、棒高跳びの選手の姿を模写しながら話しかけました。 深呼吸して精神を集中させ、棒を握りなおし、体を揺らしてリズムを取って、助..
-
信仰の金メダル!北京オリンピックの北島選手の二連覇、女子ソフトボールの金メダルは感動的でした。 平泳ぎの北島選手は、世界の一流選手から追いかけられ、必死で自分を鼓舞しましたが、なかなか調子が上がらず、焦り、..
-
おそれるな!審判は単なる判決ではなく、「清め」でもあります。 裁きの場でイエス・キリストに出会います。キリストは、すでに十字架で罪を贖われましたが、個人的には痛悔と償いを通して赦されます。それが不十分な..
-
最後の審判神の審判は、現在の生活を秩序付ける基準です。 また、良心への呼びかけであり、神の裁きへの希望でもありました。近代以降、「最後の審判」という思想は後退し、個人的な魂の救いを目指すようになりまし..
-
「捧げる」ということ善と真理と正義のために苦しみを受け入れる力は、人間らしさの基準です。 自分の快適さを優先するなら、弱肉強食の殺伐とした世界になります。また、神の愛は自己放棄を要求します。「愛する人のために苦..
-
行動と苦しみ神の国は人間の価値を遥かに超えた賜物です。 しかし、人間の行動が神のみ前で無意味なのではありません。被造物を目的に沿って正しく用い、神の協力者になります。また、各自が悪と戦うことも必要です。..
-
希望の実践希望を学ぶ場は「祈り」です。 どんなに追い込まれ孤立しても、神と話すことが出来ます。人間的な望みが絶たれても、神は私を助けることができます。ベトナムの故グェン・ヴァン・トゥアン枢機卿(192..
-
人間を満たす希望とは?生活の全てを支える究極的な希望は神から来ます。 どのような幻滅を覚えても失われない希望です。信仰によって永遠のいのちを待ち望みます。それは真のいのちでもあります。欠けることも失われることもな..