記事「キリスト教」 の 検索結果 5029 件
-
人生の北極星イエス様は、数々の教えを話されました。 それは、決して理想をおっしゃったのではなく、それを聞いた一人一人が、まさしく実行するために、教えられたのです。失敗したら、もう一度やり直せばいいのです..
-
雲の上の話?右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい! イエスの教えを見ると、このように実行するのが難しいような言葉に出会います。確かに、言葉としては美しいけれども、実際、それを実行するとなると、なかなか..
-
あ・な・た・・・キリスト信者は、何を信じて生きていますか? 「何を」の前に「誰を」信じるかが大切です。「何を」を先に考えると、義務ばかりが増えて、喜びがどこかへ行ってしまいます。信者の生活の根本は主イエスと..
-
花の心で桜が散ってしまうのではと心配しましたが、入学式まで持って安心しました。 桜には時があります。冬の間、寒さをじっとこらえて自分の時がくるのを待ちます。そして、「次はあなたの番ですよ!」と神様か..
-
祈りは年中無休現代社会の状況を考えると、教会のきまりを守れないと感じます。 でも、初代信者には、もっと大きな困難がありました。当時、日曜日は仕事の日でした。仕事の遣り繰りをして、なんとか主の復活を記念する..
-
安息日から主の日へユダヤ教では土曜日を「サバト」と言い、主のために休む日です。 今でもラテン語で土曜日はsabbatum、スペイン語でもsabadoです。「創世記」によれば、神は6日間働いて天地を創造して7日..
-
最後の晩餐レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」という絵があります。 そこで、イエスが何をなさったか、キリスト信者でなければ知らない人も多いかもしれません。あの最後の晩餐で、イエスはパンを手に取って..
-
足を洗うとは…最後の晩餐の席で、イエスが使徒たちの足を洗います。 恐れ多いと感じたペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と尋ねました。恥ずかしさから、「わたしの足など、決して洗わな..
-
信仰の糸自分で自分に洗礼を授けることはできません。 意外に知られていないことですが、正しい心でカトリック教会の定めた手順と言葉を使えば、キリスト信者でなくても誰でも有効に洗礼を授けることができます。..
-
イエスにならって社葬での祈りと挨拶 Oさんが入院される数ヶ月前にお話する機会がありました。仕事には厳しい方でしたが、仕事を通して社会に貢献するだけではなく神様を喜ばせることが出来ますよ、そんな話だったと記憶..
-
犠牲をささげる私たちはアダムとエバの子孫ですから、原罪の傷跡によって悪に傾いています。 感覚は、時として目的を離れて不秩序にその満足を求めます。『自然のままがいい』と言うわけにいきません。それに対して少し..
-
「下さる」と「上げる」英語なら「give」という一つの単語ですが、日本語では使い分けます。 動詞の中に「相手と私」の関係が含まれています。わたしが人から何かを「与えられる」時は、相手が上で自分が下なので上から下へ..