記事「ハンセン病」 の 検索結果 190 件
-
17.使命感を抱いた人韓国はアジアで初めてハンセン病撲滅を宣言した国である。そして、この一見不可能にも思える仕事を現実のものとして達成したのがルー・ジュン博士である。この有名な韓国人ハンセン病専門家は、母国においてハンセ..
-
16.ありがままを受け入れよカマラ・ニムカール女史と私がハンセン病回復者支援委員会のメンバーとしてマハラシュトラ州ナガールを公式訪問した時のことだ。途中にあるスィルールという村の学校にちょっと立ち寄ってこようということになった..
-
15.その窮地を救おう!それは知的でかつ実用的な物の考え方をするB.G.ガテ氏が州社会福祉局長を務め、私がその補佐を務めていた時に起きた。マハラシュトラ州の社会福祉担当大臣がムンバイの物乞い収容施設を報道関係者を連れて訪れ..
-
『橋はかかる』原発事故があってから、「差別」という言葉を改めて考えてみる機会が増えたような気がする。差別される側はなぜ差別されるのか理由が理解できないし、差別しているとされる側も、なぜそんな行為をしているのかと問わ..
-
14.ある母親の自己犠牲一時私はハンセン病療養所の所長を務めていたことがある。そこの入居者に若い頃からハンセン病を患っていた年老いた1人の女性がいた。彼女は既に完治していたのだが、自分の家のある村に戻るのを拒み、療養所にと..
-
13.私は自分自身を乗り越える今度のハンセン病療養所の新しい入居者はとても攻撃的な人だと聞かされていた。彼は好戦的な態度をとり、激しやすい性格で、売られたケンカはいつでも買うぞという姿勢を見せていた。 彼が入所してくると..
-
12.その仮面が剥がされる時ベイラム・タッカール氏(実名ではない)はマハラシュトラ州のある村で牛乳製造所を営んでいた。2人の娘と美しい妻に恵まれ、彼の人生はバラ色だった。ハンセン病に罹っていることがわかるまでは…。 し..
-
11.取り残され声も出ずタラ(実名ではない)はムンバイのスラムの1つに夫と住む幸せな主婦だった。家計はいつでも火の車だったが、2人の結婚生活は強固で愛情に満ちたものだった。 しかし、ある日タラは自分の体についてある..
-
10.引き返せない一本道マハラシュトラ州社会福祉局の局長補佐を務めていた頃、私は州内のとある村で雑貨屋を営んでいたラメシュワールという男と出会った。彼は神を畏怖しており、毎日寺に通い、バジャン(神に捧げる歌)を歌っていた。..
-
ムンバイ在住の邦人の皆様へ印の貧困層に芸術教育―京の市民団体、JICA事業に選定2010年2月9日、京都新聞 インド・ムンバイ市の貧困層の子どもや家族を支援している市民団体「光の音符」(事務局・京都市左京区)が、国際協力機..
-
『差別原論』差別原論―“わたし”のなかの権力とつきあう (平凡社新書)作者: 好井 裕明出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2007/04メディア: 単行本内容(「BOOK」データベースより)「差別は自分と関係が..
-
『差別と日本人』差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)作者: 野中広務・辛淑玉出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング発売日: 2009/06/10メディア: 新書内容紹介日本の中に蔓延る「差別」。..