記事「フィリピン」 の 検索結果 10725 件
-
フィリピン行幸啓に思うこと(続の3)「バターン死の行進」とは、日本軍に投降した米比軍の捕虜が移動中に死亡した事件で、戦後、日本軍の捕虜虐待が問われて河根良賢少将が戦犯として絞首刑にされた。当時からこの事件は誤解であり、捕虜虐待はなかっ..
-
フィリピン行幸啓に思うこと(続の2)一方、お言葉の同じ部分を引用した地元フィリピンの報道は違っている。フィリピン・ABS-CBNが、両陛下が29日に「比島戦没者の碑」ご慰霊を伝えたニュースで、1月30日に日本で放送された。 「両..
-
セブ島夜遊びKTVのレッドリップスが閉まった理由パロパロ社長さんが忙しく更新できないため 今日もゴーストライターのボラボラ平社員です。 パロパロ社長よりも、真面目な私は 久しぶりに、レッドリップスへ行きました。 すると店の看..
-
フィリピン行幸啓に思うこと(続の1)前回でこのテーマは終わりにするつもりだったが、隣国の報道に、マニラでの晩餐会で天皇陛下が謝罪したと断定している記事を見つけて、もうひとこと書かずにはいられなくなった。1月30日付けでネットに載ってい..
-
フィリピン行幸啓に思うこと(6)米比戦争の後、米国はフィリピン政策として「友愛的同化」(benevolent assimilation)をマッキンリー大統領自らが発表し、英語教育や見せかけの民主化を進めた。日本との違い、それは国益..
-
フィリピン行幸啓に思うこと(5)両陛下は30日にご帰国され、マニラのニノイ・アキノ国際空港ではアキノ大統領がお見送りされた。大統領自らの国賓の送礼は異例であるとの報道であるが、これまでに述べたように、フィリピンも大統領家も日本とは..
-
フィリピン行幸啓に思うこと(4)だいぶ寄り道してしまったが、最初に予告したフィリピン人作家の話しに戻る。1月28日付産經新聞に掲載された記事について、以下引用する。 (略)「戦後の絆を示す、重要な機会だ」。フィリピンの国民的..
-
フィリピン行幸啓に思うこと(3)アギナルド将軍とは、革命家にしてフィリピン共和国初代大統領のエミリオ・アギナルドのことである。昭和37年(1962年)の皇太子殿下ご訪問時に、93歳の高齢で病気療養中であったのを押してマニラ近郊のカ..
-
フィリピン行幸啓に思うこと(2)本題に入る前にアキノ大統領の熱烈歓迎について、ひとこと。 大統領が両陛下を空港までお出迎えになった。彼の国で国賓の出迎えはふつう副大統領の仕事であり、別格の歓待であるとテレビ局は伝えていた。なる..
-
フィリピン行幸啓に思うこと(1)天皇皇后両陛下のフィリピンご訪問からは、日本のいまと歴史を考える上で、大きな示唆を受ける。これから何回かに分けて書いてみよう。 まずは皇族のお出かけの用語について。天皇陛下は行幸(ぎょうこう)、..
-
希少動物多数を保護、フィリピンの空港で押収【AFPBB News2016年2月2日】(ワシミミズク)フィリピン・マニラ郊外の野生生物保護センターに保護されたワシミミズク(2016年2月1日撮影)。(c)AFP/Jay DIRECTO 【2月2日 AFP】フィリピンの首都マニラ(Manila)郊外の..
-
セブ島カラオケ小町のあの娘がビキニバーで・・・パロパロ社長さんが忙しく更新できないため 今日もゴーストライターのボラボラ平社員です。 先日マクタン島夜遊びと言えば有名マーメイドに 行ったときの出来事ですが、日曜という事もあり ..