記事「ロシア」 の 検索結果 15135 件
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ロシアのアネクドート傑作集から その2 ソ連時代の小話ロシアのアネクドート傑作集から その2 その1 場所はモスクワの中学校。 先生が地球儀を指して、授業をしている。 「みなさん、ここには失業と暴力と、そして人種差別と不正の..
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ロシアのアネクドート傑作集から その1ロシア人は酒の席になると「おい、何か新しいアネクドート知らないか?」と始まる。 アネクドートとは、酒の席で話すロシア人の小話である。 その1 母親が息子に「どうしてあんたびしょ濡れ..
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ロシア人とウォッカの話を少々飲食という観点でロシア人の第1印象を一言で言えば、「ウォッカとキャビアとボルシチ」となる。 ウォッカ「アルタイ山」;シベリアの酒、ピリピリとした辛口「ピョートル大帝」;甘すぎず辛すぎず飲..
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ロシア人とウォッカの話を少々飲食という観点でロシア人の第1印象を一言で言えば、「ウォッカとキャビアとボルシチ」となる。 ウォッカ「アルタイ山」;シベリアの酒、ピリピリとした辛口「ピョートル大帝」;甘すぎず辛すぎず飲..
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探検家の歴史 第4部 その9 一畳敷の松浦武四郎(K)探検家列伝第四部は18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げたが、その最後として蝦夷地を探査し北海道という名を考案した松浦武四郎を取り上げる。 武四郎は19世紀初頭..
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探検家列伝第4部 その8 伊能忠敬その3(「大日本沿海輿地全図」まで)第六次測量(1808年~四国)のため、1月25日に江戸を出発。 前回は約2年にわたる測量で風紀に問題が起きた為、忠敬は第六次測量を四国だけにとどめ、淡路島を経由して3月21日に鳴門から徳島に..
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探検家の歴史 第4部 その7 伊能忠敬その2(第5次測量まで)ここで第1次測量から第10次測量までを一覧表で見てみる。 最初は忠敬一家(息子、弟子、下男、人足)程度の規模の測量で測量費用も自腹だったが、第三次測量(1802年~東北日本海側)から..
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探検家の歴史 第4部 その6 伊能忠敬( 日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人)伊能忠敬は足かけ17年をかけて全国を測量し、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人である。(下図は伊能地図であるが、今とほぼ同じ、伊能のすごさは、こういうことである。) ..
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探検家の歴史 第4部 その5 近藤重蔵(探検家として人間として、尋常でないレベルに達した人)近藤重蔵(1771年〜1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣で探検家である。間宮林蔵、平山行蔵と共に文政の三蔵と呼ばれている。 1771年に身分の低い貧しい武士である..
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探検家の歴史 第4部 その4 松田伝十郎(樺太探検と蝦夷地経営に活躍)K松田伝十郎は江戸時代の越後国出身の幕臣・探検家で、間宮林蔵と樺太を探検し、樺太見聞の実測図を作成した。 伝十郎は越後国頚城郡鉢崎村(現新潟県柏崎市)の貧農浅貝長右衛門の家に長男として..
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探検家の歴史 第4部 その3 探検家を超えた村上島之丞村上島之丞(1764年-1808年)は、本名を秦檍丸という。 18世紀の中頃伊勢の神職の子として生まれ、寛政の改革の立役者である松平定信に見出されて数回に及び蝦夷地の探検を行なった北方..
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探検家の歴史 第4部 その2 最上徳内(今世紀における最も卓越した探検家)最上徳内はシーボルトに、「尊敬すべき老人」「尊敬すべき老友」で「今世紀における最も卓越した探検家」と高く評価された北方探検家である。 徳内は1754年、出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村..