記事「下関」 の 検索結果 1317 件
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石見国の場所万葉集の石見国は熟田津(柔田津・和多豆・飽田津)を豊北町の津波敷温泉とみて、二見から津波敷付近である。 矢玉で鯨が打上げられた伝承がある。
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難波宮は下関市の吉母 説山口県の神功皇后伝承によれば、神功皇后は三韓征伐の出港または帰港で、下関市山陰側の吉母(よしも)・吉見(よしみ)から出港・帰港している。 吉見(⇒吉母)⇒蓋井島⇒洞海湾・壱岐 が古代の航海路である..
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難波宮は下関市の伊倉 説下関市川中・安岡=難波・河内王朝 説 下関市川中を流れる綾羅木川は古くは石津川といった。 石津川は石川ともいえるし、仁徳紀 67年10月 で仁徳天皇は河内の石津原に陵地を定めたとある。 ..
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万葉集20の場所から考える万葉集20の蒲生野は下関市安岡の脇ノ浦。 額田王は長門国豊浦郡額田 と通じる。 万葉集20から、天智天皇の淡海は下関市安岡・川中だ。 稲見海は安岡浜。 稲見という地名はない。綾羅木川の条里..
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思我の韓埼高橋文雄著 『山口県地名考』 須佐 P255 で、 スサとはマレー語で、「荒れくれないのこと」また「神」のことというが、現在のマレー語では「むつかしい」の意。例えば「困る、困った」ことをスサ(..
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吉野は友田川の上流記紀万葉の吉野は場所が複数ある。 その一つが下関市安岡の友田川の上流に吉野宮があった。 万葉集924の「鳥の聲(声)」は友田川上流の字「鳥聲」である。 万葉集38で芳野川にも青垣山が..
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漢委奴国王 2「漢」の字を手元にある古い漢和辞典で調べると、「川の名を表した」で漢水。 「漢」の字は水へん(さんずい)である。 訓読みでは、天漢(あまのがは)、漢人(あやひと)。「あや」は音から綾羅木。..
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漢委奴国王 1倭国は山口県であり、その極南界は下関市である。 倭奴国(倭の奴国)は下関の川中地区である。 稗田地蔵堂遺跡から蓋弓帽(漢の馬車の傘の先の金具)が出土している。 蓋弓帽から、傘→笠 とみて、天..
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笠紗古事記の天孫降臨で、 此地は韓国に向ひ笠紗の御前にま来通りて ・ ・ ・ ・ 日本書紀では笠狭(場所)だが、古事記では笠紗(物)で織物の笠である。 笠→日傘 とみて、 笠紗は稗田地蔵堂..
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筑前国嶋郡戸籍川邊里 (大宝2年 702)福岡県糸島郡志摩町の『志摩町史』 P676~721 にかけて「筑前国嶋郡戸籍川邊里」が載っている。 福岡市周辺の古代史愛好家なら、みなこの箇所は図書館でコピーして持っていると思う。 「わが志摩..
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倭(わ)魏志倭人伝など、中国正史の「倭」(わ)の場所は、 山口県下関市安岡の脇之浦である。 「脇」(わき)→「倭」(わ) 天孫降臨の「吾田の長屋の笠狭の御碕」は村﨑鼻。 村﨑鼻が万葉集2..
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安岡八幡宮 2安岡八幡宮が現在の地(迫山)に遷ったのは江戸時代の天保年間で、それまでは安岡浜宮だったという。 境内社として住吉神社がある。 境内社の住吉神社より、安岡浜宮として元あった場所が橘の小戸である。..