記事「下関」 の 検索結果 1317 件
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長門豊浦郡の国力(767年頃)続日本紀 神護景雲元年(767年) 4月29日 条 長門国豊浦団毅外正七位上額田部直塞守 銭百万 稲一万束 を献じ外従五位上を授け豊浦郡大領に任ず 当時、「稲一万束」を生産できる稲作地が..
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有冨の金鋳ヶ谷有冨の龍王社(ハンドウ山)の麓、有冨古墳の西横を「金鋳ヶ谷」(かんたがたに)という。 パチンコ屋駐車場の西側から入り、沢がある小さい谷が小字「金鋳ヶ谷」である。 ここに往古銅山があり、銅鉱石を焼い..
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有冨の池奈良東大寺の金実中が下関の有冨(蒲生野山田)で竹生観音を建てているので、記紀の高天原はこの辺りである。 万葉集20の蒲生野は下関の蒲生野で、「武良前野」(むらさきの)は安岡の村﨑ノ鼻である。 蒲生..
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感動的な発見扶桑の場所は、 縄文時代に鹿児島のカルデラが爆発していることから、扶桑は鹿児島である。 邪馬台国の場所は、 奈良東大寺の高僧 金実中 が山口県下関にやって来て三か所の寺を開いたことから、邪馬..
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邪馬台国の場所決定東大寺二月堂のお水取りを始めた有名な僧侶の 金実中(実仲、実忠とも書かれる) が西暦790年頃、山口県下関市にやってきて3か所の寺を開いた。 川棚の三恵寺 黒井の石印寺 蒲生野山田の竹生観音 ..
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河童古事記によれば猿田彦は「阿耶訶」で比良夫貝に手をくい合わされて死んだ。 阿耶訶は アザカ とよむ。 アザカ なら遠賀川下流(洞海湾の奥)の 浅川 だろう。 比良夫貝は河童である。 go..
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竜宮城竜宮城は萩の見島(海人の群集墳がある)。 古事記によれば、綿津見神の名前を 宇都志日金柝 というが、 見島の地名 宇津→宇都志 日﨑→日 金島→金柝 綿津「見」神の「見」→見島。 ..
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六連島六連島の山の神の森は、 宗像大明神(南の台) 雲海大明神―青海大明神 (西の台) とあるので出雲である。 「青海」とある。 この青海が万葉集では淡海と書き換えられているのだろうか。 六連島..
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志賀私は室津の「鬼泊り」(甲山の﨑の祭祀遺跡)が「楽浪の志賀の韓﨑」だと思うが、考古関係者で深い調査はされてない。 「楽浪の志賀の韓﨑」を考古学的知見というやつで導きだせば、 梶栗浜遺跡と稗田..
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関門海峡六連島には製塩遺跡がある。 六連八幡宮は幡生の生野神社の分社である。 六連の住民は幡生の神社の氏子だった。 北九州市小倉に属する馬島の小字 「天志」(てんし)「金﨑」「和合坐」(わごうざ)..
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吉母港が難波角川の地名辞典 山口県巻 巻末小字一覧 で吉母に「柏」がある。難波の柏済(わたり)とみれる。 「山口」→那良の山口 草場川→日下 難波の西に淡路島がある→蓋井島が淡路島 難波は室津のようで..
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華山豊田町の華山(げざん)は山口県西部の修験道の中心地だった。 華山は対馬厳原町の真東に位置する。 江戸時代に華山の山頂付近から広型銅矛が二本出土している。発見された時の発掘記録がない。考古資料になら..