記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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恋塚浄禅寺京都府京都市南区上鳥羽岩ノ本町にある浄土宗西山禅林寺派のお寺。寺の起源は寿永元年(1182年)の文覚上人による開基と伝えられいて、境内にある袈裟御前の首塚(恋塚)から恋塚浄禅寺と呼ばれています。
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浄菩提院塚陵墓参考地京都市伏見区竹田東にある昇子内親王のものと推定されている陵墓。昇子内親王は後鳥羽天皇の第一皇女として生まれ、曽祖叔母の八条院の猶子として育てられましたが、建暦元年(1211年)に17歳で薨去したそうで..
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城南宮京都市伏見区に鎮座する神社で、白河天皇が鳥羽離宮を造営してからはその一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあったとのことです。慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となった地でもありま..
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小枝橋跡慶応4年(1868年)正月3日、上洛を目指して鳥羽街道を北上する幕府軍1万5千と、これを阻止しようとした官軍6千が、小枝橋で武力衝突しました。この武力衝突が、翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端となった戦い..
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秋の山(鳥羽離宮跡)京都市伏見区にある鳥羽離宮跡公園に残る鳥羽離宮の築山「秋の山」。明治元年/慶応4年(1868年)1月3日、この地に布陣していた薩摩藩の大砲が火を噴き、鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)が始まりました。
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小枝橋碑慶応4年(1868年)正月3日、鳥羽街道を北上する幕府軍と、これを阻止しようと竹田・城南宮周辺に布陣していた官軍は、この地小枝橋で衝突しました。幕府軍1万5千人と官軍6千人の激しい戦いだったとのことで..
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鳥羽離宮跡鳥羽離宮(鳥羽殿)は白河天皇が創建した譲位後の御所で、鳥羽上皇の代にほぼ完成し、14世紀頃まで代々院御所として使用されていたそうです。現在の京都市南区上鳥羽、伏見区竹田・中島・下鳥羽一帯がその知識との..
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袈裟御前墓袈裟御前は渡辺渡の妻で、従兄弟で夫の同僚の遠藤盛遠から横恋慕され、その執拗さから逃れるために、遠藤盛遠を騙して自らを盛遠に殺害させました。盛遠は自分の行いを恥じて出家し袈裟御前の墓を建てたとのとです。..
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恋塚寺恋塚寺は源平盛衰記に登場する遠藤盛遠が創建したのが始まりとのこと。盛遠は源渡の妻・袈裟御前に横恋慕し、その結果、誤って袈裟御前を殺害してしまい、これを深く恥じた盛遠は袈裟の墓とこのお寺を建てたそうです..
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鳥羽伏見戦跡地碑京都府京都市伏見区納所、旧京阪国道沿いにある鳥羽伏見戦跡地の碑。明治元年(1868年)1月5日の戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いにおいて、この地域一帯で、徳川幕府軍と薩長軍の戦闘が有ったことを示す碑です。
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古淀城薬師堂跡淀城には2つあり、豊臣秀吉が淀君のために修築した納所にあった城が古淀城と呼ばれていて、文禄3年(1594年)に廃城となりました。この石標は文禄3年に廃された古淀城内の薬師堂跡を示すものとのことです。
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妙教寺京都府京都市伏見区にある法華宗真門流の寺。鳥羽・伏見の戦いで被災し、境内には戦死した幕兵の碑があります。また、豊臣秀吉が淀君に産所として与えた淀古城はこの辺りにあったとのことです。