記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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大覚寺嵯峨天皇の離宮内に弘法大師空海が五大明王を安置する堂を建てて修法を行ったのが起源とのこと。そして、嵯峨天皇が崩御してから30数年後の貞観18年(876年)、皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が離宮を寺に..
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太鼓楼(西本願寺)京都市の西本願寺の東北角にある重層の楼閣。今も残る大きな太鼓は江戸時代には周囲に時刻を告げる合図となっていたそうです。幕末には、新撰組がこの太鼓楼周辺を一時、屯所としていたとのことです。
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鹿苑寺京都市北区にある臨済宗相国寺派のお寺で相国寺の山外塔頭寺院。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣として、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺として知られ、世界文化遺産に登録されています。..
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綜芸種智院跡綜芸種智院は天長5年12月15日(829年1月23日)に、空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、藤原三守から譲り受けた京都の左京九条の邸宅に設置した私立学校といわれています。
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西八条殿跡(若一神社)若一神社は平清盛の邸宅(西八条殿)の鎮守社であったと伝わる神社。清盛が没した翌々日の養和元年(1181年)閏2月6日、放火により焼亡。さらに都落ちする際に、平氏自らが放った火で豪壮な邸宅は焼失したとの..
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神共水京都市下京区に鎮座する若一神社の境内にある京の銘水のひとつ。この神共水は平家物語にも記述があり、清盛の熱病を冷やすために使ったとも言われ、開運出世の水、新生児誕生の産湯としても使われているそうです。
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祇王歌碑京都市下京区七条御所ノ内本町に鎮座する若一神社境内にある祇王歌碑。 「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」平家物語に登場する白拍子の祇王が、去り際に障子に書き残した一首です。
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平清盛像平清盛は伊勢平氏の棟梁。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て勝利し、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任せられました。西八条殿跡とされている若一神社境内に平清盛像が建てられていま..
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源為義墓源為義は保元の乱において崇徳上皇方の主力として戦いましたが敗北し、後白河天皇方についた長男の源義朝の手によって処刑されてしまいました。京都の七条七本松交差点の近く、権現寺にお墓があります。
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二条城京都の市街地にあり城跡全体が国の史跡に指定されている平城。室町初期から二条城と呼ばれる城がありましたが、現在のは徳川時代のもの。徳川家康と豊臣秀頼の会見、大政奉還などが行われた歴史的な場所です。
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西町奉行所跡寛文8年(1668年)に京都町奉行が創設され、京都所司代等の司法・行政の権限が委譲され、東西の奉行所が隔月交代で任務を担当したとのこと。西町奉行所は、千本通二条城西側、現在の中京中学辺りにあったそうで..
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二条城撮影所跡京都市立中京中学校の南東角に建つ、二条城撮影所跡を示す碑。この地に明治43年(1910年)、横田永之助の横田商会により、京都初の撮影所である「二条城撮影所」が開設され、2年間使われたそうです。