記事「京都」 の 検索結果 58649 件
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浄菩提院塚陵墓参考地京都市伏見区竹田東にある、昇子内親王のものと推定されている陵墓。 昇子内親王は、後鳥羽天皇の第一皇女として生まれ、曽祖叔母の八条院の 猶子として育てられましたが、建暦元年(1211年)17歳で薨去..
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城南宮京都市伏見区に鎮座する神社で、白河天皇が鳥羽離宮を造営してからは その一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあったとのことです。 慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となった地で..
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小枝橋鴨川に架かる、京都市南部地域の重要幹線道路である千本通が通る橋。 従来、狭く老朽化し、交通渋滞が慢性化していたため、新しく整備され、完成 した新橋は4車線歩道付きの幅員22mで,旧橋の約5倍となっ..
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小枝橋跡慶応4年(1868年)正月3日、上洛を目指し、鳥羽街道を北上する幕府軍 1万5千と、これを阻止しようとした官軍6千が、小枝橋で武力衝突しました。 この武力衝突が、翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端とな..
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秋の山(鳥羽離宮跡)京都市伏見区にある鳥羽離宮跡公園に残る、鳥羽離宮の築山「秋の山」。 明治元年/慶応4年(1868年)1月3日、この地に布陣していた薩摩藩の 大砲が火を噴き、鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)が始ったとのこ..
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小枝橋碑慶応4年(1868年)正月3日、鳥羽街道を北上する幕府軍と、これを阻止 しようと竹田・城南宮周辺に布陣した官軍は、この地小枝橋で衝突しました。 幕府軍1万5千人と官軍6千人の激しい戦いだったとのこ..
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鳥羽離宮跡鳥羽離宮(鳥羽殿)は、白河天皇が創建した譲位後の御所で、鳥羽上皇の 代にほぼ完成し、14世紀頃まで代々院御所として使用されていたそうです。 現在の京都市南区上鳥羽、伏見区竹田・中島・下鳥羽一帯に..
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袈裟御前墓袈裟御前は渡辺渡の妻で、従兄弟で同僚の遠藤盛遠から横恋慕され、その 執拗さから逃れるために、遠藤盛遠を騙して自らを盛遠に殺害させました。 遠藤盛遠は自分の行いを恥じて出家し、袈裟御前の墓を建てたと..
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恋塚寺恋塚寺は、源平盛衰記に登場する遠藤盛遠が創建したのが始まりとのこと。 盛遠は、源渡の妻・袈裟御前に横恋慕し、その結果、誤って袈裟御前を殺害 してしまい、これを深く恥じた盛遠は、袈裟の墓とこのお寺..
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鳥羽伏見戦跡地碑京都府京都市伏見区納所、旧京阪国道沿いにある鳥羽伏見戦跡地の碑。 明治元年(1868年)1月5日の戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いにおいて、 この地域一帯で、徳川幕府軍と薩長軍の戦闘が有ったことを示す碑で..
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古淀城薬師堂跡淀城には2つあり、納所にあった城を豊臣秀吉が淀君のために修築した のが古淀城と呼ばれていて、文禄3年(1594年)に廃城となりました。 この石標は文禄3年に廃された古淀城内の薬師堂跡を示すものとの..
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妙教寺京都府京都市伏見区にある法華宗真門流の寺で、宝泉院日孝を開山とし、 大阪の富豪であった法華又左衛門貞清が開創したとのことです。 鳥羽・伏見の戦いで被災し、境内には戦死した幕兵の碑があります。