記事「京都」 の 検索結果 58649 件
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蛤御門京都御苑の外郭九門の一つで、正式には「新在家御門」。幕末の元治元年 (1864年)の蛤御門の変(禁門の変)の激戦が行われた場所として有名。 当時は、現在よりも東に30メートルのところに南向きにたっ..
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土御門内裏址里内裏とは、平安京内裏の外に臨時に設けられた皇居のこと。この里 内裏は、鳥羽、崇徳、近衛の3天皇の里内裏として使われました。京都 御苑の西側にあります。
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清水谷家の椋京都御苑内京都御所の南西角にある椋の巨木。かつてここに清水谷 家という公家の屋敷があったことからの命名とのこと。禁門の変の時、 来島又兵衛がこの木の下で討ち死にしたと伝わっています。
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学習院跡幕末の弘化4年(1847年)、京都御所の東側に公家のための学問所 が設置され、「学習院」と名付けられました。東京の学習院大学は、この 「学習院」の流れをくむものです。
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京都御所現在の京都御所は、元は里内裏の土御門東洞院殿であったところ。南北朝 時代から内裏として使われ、南北朝の統一以後、正式な皇居となりましたが、 明治以降、皇居は東京に移り、ここは京都皇宮とも呼ばれるよ..
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花の御所跡花の御所は、室町幕府3代将軍足利義満が造営した将軍家の邸宅の通称。 2代将軍足利義詮のときに、一時崇光上皇の御所だったことで、こう呼ばれ ていて、この石碑には、「従是東北足利将軍室町第址」と書かれ..
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百々橋の礎石(室町小学校)百々橋は、寺之内通を流れていた小川(こかわ)に架かる小さな橋で、 この小さな橋が応仁の乱の時の激戦地となりました。その橋の礎石の 一部が、現在、京都市上京区の室町小学校に保存されています。
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応仁の乱勃発地応仁の乱は、応仁元年から文明9年までの約10年間にわたった内乱で、 九州の一部を除いた全国が戦場となり、戦国時代への導火線となりました。 その応仁の乱が、応仁元年(1467年)1月18日、ここで始..
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御霊神社下御霊神社に対して上御霊神社とも呼ばれている京都市上京区に鎮座する 神社。政争に巻き込まれて憤死した人々の霊を慰めるために創建されました。 ここの境内での畠山氏内部の武力衝突が応仁の乱の発端とされ..
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尾形光琳菩提所尾形光琳は、江戸時代中期を代表する画家。尾形光琳と弟で陶芸家の 尾形乾山が葬られたのが京都市上京区にあった興善院。興善院はその 後、本行院管下となり、さらに泉妙院と合併し現在に至っています。
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百々橋の礎石堀川通の東に陣をおいた東軍と西に陣を敷いた西軍が戦ったのが応仁の乱。 その応仁の乱で何度も両軍が戦ったのがこの付近にあった百々橋。百々橋を 支えていた4基の礎石の1つがここに残されています。
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山名宗全邸址山名宗全は室町時代の但馬、備後、安芸、伊賀、播磨を領した守護大名。 応仁の乱では、西軍の総大将として戦ったが、乱の途中に70歳で死去。 この辺りの地域を西陣と呼ぶのは、山名邸がここにあったことによ..