記事「修験」 の 検索結果 19 件
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下間蓮崇の百日行「陰の流れ 第三部・本願寺蓮如 32.再会2」より蓮崇の百日行 本願寺を破門になった蓮崇は風眼坊(後の風摩小太郎)と共に吉崎を去り、近江の飯道山に来ます。武術道場として栄えていた飯道山を見た蓮崇..
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大峯山の行場、笙の窟大峯山は修験道の本場として古くから、大勢の山伏たちが修行していました。吉野から熊野まで、奥駈け道という修行の登山道があって、数々の行場を巡りながら山伏たちは修行を積みました。 「陰の流れ第一部・陰流..
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飯道山から太神山へ「陰の流れ第一部・天狗勝」で、山伏になった愛洲移香斎が百日行をした奥駈け道は、飯道山から阿星山、金勝山、竜王山を通って、太神山まで行く、片道およそ27キロの道程です。 飯道山の飯道寺、阿星山の阿星寺..
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火乱坊近江の国、浅井郷に生まれた火乱坊は伊吹山で修行を積んで、山伏になります。薙刀の修行にも励んで達人となった火乱坊は飯道山に呼ばれ、武術師範として若い者たちを鍛えます。 当時、飯道山には、棒術の..
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東光坊東光坊は草津温泉の領主、湯本善太夫の師匠だった円覚坊の倅です。父と同じように山伏になるため、10歳になると飯縄山に入って修行を始めます。 19歳の時、先達山伏になり、21歳の時には武術師範代になって..
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円覚坊円覚坊は信濃の国、飯縄山の山伏です。山伏は修験者、行者とも呼ばれ、半僧半俗の修行者です。一般の人が入らない山奥で厳しい修行を積んで不思議な力を身に付けて、加持祈祷などをして、困っている人々を救いました..
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飯道山近江(滋賀県)の国、甲賀の飯道山は古くから修験の山でした。開山は修験道の開祖、役(えん)の行者と呼ばれる役の小角(おづぬ)です。 山中にあった飯道寺は天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願によ..
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