記事「健康」 の 検索結果 114056 件
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ミリンダ王問経自分の目で見、触れることのできるものだけが真実であるという考え方は、他人の認識の不確かさを責めるには有効であっても、けっして正しいとはいえない。じつは自分自身、見たことも触ったこともないものであって..
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信念なき政治とはこれに関連して大事なことは、政治と宗教が次元を異にするといっても、つまり政治家や王としての公的立場では宗教に対して平等でなければならないとしても、政治家が宗教を信じてはいけないということにはならない..
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釈尊五十年の説法とは釈尊五十年の説法は、何のためであったか。それは、生老病死の苦悩に沈む大衆を救うためのものであった。出家修行者であれば、つねにその原点を忘れることなく、大衆の幸せのために一身を捧げる決意でなければなら..
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人間としての生き方を全うするまた、釈尊の説法に対する受け止め方としても、出家僧と一般信者とは、やはり違うものがあったのではないかな。いわゆる「声聞」の弟子は、仏の教えを直接に聴いて、つねに自己の人格形成をめざしていた。釈尊なき..
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部派分裂インドの仏教とは、各地域ごとに、それぞれ特色ある教団を形成していたことは、歴史的にも明らかになっている。それは、対機説法(衆生の機根に対応して法を説くこと)という釈尊の生前のさまざまな法の説き方から..
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教条・戒律の枠にははめない釈尊滅後百年の教団が、そのような戒律主義に陥ったのは、一つには僧侶の特権意識もあったのではないだろうか。自分たちは大衆とは違って特別な修行をしているといった意識が、戒律をいよいよ煩雑にしていった一面..
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経文の一字一句、すべて金文字の仏説とくに釈尊に関して、もう一つ忘れてはならないことは、経文にもあるように、釈尊の説法は、すべて衆生をして仏道に入らしめんがためのものであったということです。したがって経典の結集者も、単に釈尊の言行録を..
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仏典結集の重要なポイントアーナンダにしても、ウパーリにしても、単に記憶が優れていたというだけではない。釈尊の教説が、そのまま二人の体内に血肉化していたのではないか。真剣な求道心をもって、一言一句を全身で受け止めていけば、そ..
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絶対者の存在はあるのか「法に依って人に依らざれ」 仏法の求めるものは、他者の依存でもなければ、他者からの救済を待ちうけることでもない。己れ自身に、曇りなき鏡をを確立し、それを、一切の伴侶として進んでいくところにある。..
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教団を支えた二人の死杖とも柱とも頼む愛弟子に先立たれた釈尊の心中は、察するにあまりあるが、さりとて、それで動揺し落胆してしまう釈尊ではない。その悲しみを乗り越えて、さらに教団の転換と発展のために、晩年の生涯を全力で傾け..
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冥伏し、克服し、呼びさます歴史的実在のデーヴァダッタは、ついに叛逆者で終わったわけであるが、振り替えて省察してみるならば、われわれ自身の生命にも、デーヴァダッタの生命が含まれている。すぐ名利と野心に心が動き、理性と自制心を失..
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極端な戒律主義は斥けた野崎:出家僧の二百五十戒等と比較し、一般在俗信徒には、いわゆる五戒が強調されています。不殺生戒、不偸盗戒、不妄語戒、不邪淫戒、不飲酒戒がそれですが、これも、こうした戒を守ることが修行というのではなく、..