記事「像」 の 検索結果 731 件
-
大村益次郎像大村益次郎は、長州藩出身の医師、西洋学者、兵学者で、維新十傑の一人。 戊辰戦争では長州藩の指揮を執り活躍、また近代日本陸軍を創設しました。 靖国神社の創建にも尽力し、境内には大村益次郎の像が建って..
-
パール判事顕彰碑ラダ・ビノード・パールは、東京極東軍事裁判において連合国が派遣した 判事の一人で、被告全員の無実を主張したインドの法学者。平成17年 (2005年)に靖国神社の境内に、パール判事顕彰碑が建てられま..
-
インドネシア初代国軍司令官像スディルマン・インドネシア共和国初代国軍司令官は、オランダとの独立戦争の指導者で、インドネシアの国民的英雄。日本軍政の時に日本軍の軍事訓練を受け、最年少で将軍になりました。東京の市ヶ谷にある防衛相の敷..
-
マッカーサー像連合国軍最高司令官総司令部を務めた米国軍人で、 終戦直後の日本を占領統治したことで知られています。 マッカーサーが日本への第一歩を記した厚木基地に像がたっています。
-
徳川家康像この像は、「しかみ像」と呼ばれる肖像画をもとにつくられた石像です。 徳川家康は、三方ケ原の戦いで武田信玄に惨敗したとき、自戒の念を 忘れることのないように、「しかみ像」を描かせたと云われています。..
-
松平元康像松平元康は、松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれた後の徳川家康。 人質として身を寄せていた駿府で元服し、今川義元の元の字を賜り、 次郎三郎元信と名乗ったが、さらにまた、蔵人左元康と改めました。
-
徳川家康像徳川家康は松平広忠の嫡男として天文11年(1542年)岡崎城で誕生。 6歳の時、人質として駿府に送られたために岡崎城を離れましたが、 桶狭間の戦いで今川義元が討たれた直後に、岡崎城に戻りました。
-
本田平八郎忠勝像徳川家康の家臣で、徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人。 家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本田平八郎とまで言われた程。 槍の使い手で、空を飛ぶトンボを切るほどであったと伝わっています。
-
清正公石曳きの像加藤清正は秀吉子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍にも数えられている武将。 関ヶ原の戦いでは徳川方につき、その功により熊本藩主となりました。また、 慶長15年(1610年)の名古屋城の普請にあたっても大..
-
織田信長と濃姫像清洲公園内にあり、夫婦円満、必勝祈願等のパワースポットとのことです。 織田信長の像は桶狭間出陣の時の様子を表し、桶狭間の方を向いています。 濃姫の像は、平成24年に天守閣近くからここに移設されてき..
-
下山順一郎像下山順一郎は明治時代の薬学者で、日本の薬学博士第1号。嘉永6年 (1853)年、尾張犬山に生まれ、明治6年(1873年)に第一大学区医学 校(現東大)に進み、私立薬学校(現東京薬科大)初代校長とな..
-
土方歳三像土方歳三は幕末に新撰組副長として活躍。戊辰戦争では旧幕府軍と共に、 宇津宮、会津と転戦し、最後は箱館に上陸。陸軍奉行並として箱館戦争を 指揮しましたが、一本木関門で戦死しました。