記事「北海道」 の 検索結果 80592 件
-
1162 弁財崎=斜里郡斜里町ウトロ西(北海道)「領海の外縁を根拠付ける離島の地図・海図に記載する名称の決定」でついた名に…日本中に、いわゆる地形的にみた岬の形状を示す場所は、数えきれない。ゴマンとある。しかし、そこに名前がついて初めて、名実ともに「岬」となりうるのである。 では、どうして名前がつくのとつかないのとが混在..
-
1161 オシンコシン崎=斜里郡斜里町ウトロ西(北海道)ここの主役は岬ではなくて滝らしいのだが滝の写真は一枚もないよ知床はその半島の付け根は何度も通っているのに、半島の中に入ってみるのは、今回が初めてである。網走から釧網線でオホーツクの浜辺を、斜里まで行く。そこから斜里バスで半島の中間、五湖の手前まで行ってみるこ..
-
1160 キムアネップ岬=常呂郡佐呂間町幌岩(北海道)これはサロマ湖の東南岸にあるが東北岸から見るギブアップの岬湧網線がなくなっても、サロマ湖を通る路線バスができなかったのは、利用者が少ないことがいちばんの理由であろうが、それ以外にも考えられるのは、行政区分の関係であろう。鉄道がなくなり路線バスもない場合には..
-
番外:湧別から遠軽へ=紋別郡湧別町芭露(北海道)サロマ湖は遠くサンゴ岬も見えないし湧網線はなくなってしまい代替バスもない北海道の開拓地では、どこでも同じようなことがあったのだろうが、湧別川の流域と河口付近に和人がやってくる前は、アイヌがその雄大な自然のなかでムリをせずに、自分たちのリズムで暮していたことだろう。そのも..
-
1159 弁天岬=紋別市弁天町1丁目3(北海道)MapionもGoogle mapもYahoo!地図もみんなに無視されている岬は…流氷を見に初めて紋別へやってきたのは、1986(昭和61)年の2月だった。その頃は、岬めぐりも出張のついでくらいしかできず、また主だった岬だけでいいやと考えていたため、紋別に3つも岬があることが意識..
-
1158 ウエンヒラリ岬=紋別市真砂町5丁目3(北海道)“悪い崖の高台”ではコンクリート護岸の工事が進んでいる最中チカプノツ岬の表記は、地理院地図でも縮尺が500mと示される大きさでないと出てこない。目盛一つ上の縮尺が1000mの地図になると、チカプノツ岬の名は消えてしまうが、ウエンヒラリ岬の表記はある。ウエン..
-
1157 チカプノツ岬=紋別市北浜町3丁目3(北海道)緩い丸いコンクリート護岸のふくらみにこの名があるが…紋別に入る道で、大きなトラクターのようなものを載せた車両がのろのろと走っていて、その後ろについた白い乗用車がバックライトを点滅させながらゆっくりくっついていく。後から来る車に、追い越しを促しているら..
-
1156 沙留岬=紋別郡興部町沙留(北海道)長〜い砂浜の海岸線のなかにぽつんとあるコブは東が岩礁なので…興部町の南に位置する沙留(さるる)は、オホーツクラインの真っすぐな海岸線にできたコブのような固まりで、そのうえに集落ができ、東の付け根には漁港ができている。 コブの西北の先端が沙留岬で、そこだけまた..
-
番外:おこっぺ道の駅とある軌跡=紋別郡興部町興部(北海道)夢と希望をレールにのせてはきたものの…「人口5,000人程、牛の数は12,000頭、コンビニ2件、映画館はナシ。でも海水浴場に、ナイターが楽しめる野球場、冬でも遊べるテニスコート・ゲートボール場などもあります。」そう紹介をする“おこっぺ..
-
1155 日の出岬=紋別郡雄武町沢木(北海道)“おむ”といい“おむい”という“おうむ”町の南の外れの沢木に温泉と日の出の岬雄武と興部の間の旧興浜南線が走っていた区間も、バスで往復したことになるのだが、この区間のバスは北紋バスである。日の出岬では、北紋バスは国道から海寄りの脇道に入り、岬をぐるっと回ってからまた国道に戻る..
-
番外:おうむ道の駅と鉄道夢の跡=紋別郡雄武町雄武(北海道)いまはなき興浜南線の雄武駅の跡で辿る鉄道への想いモダンな展望台を備えたその建物には、商工会議所のようなものも入っていて、1Fが道の駅とバスの待合室になっている。雄武のバス停は、「おうむ道の駅」の前にある。 その場所は、国道238号線からロの字にな..
-
1154 音稲府岬=紋別郡雄武町北雄武(北海道)完成しなかったオホーツク縦貫鉄道の怨霊?のせいにしてはいかんけどね郡界から9.5キロも南東へ下ると、こんどは音稲府(おといねっぷ)岬である。その途中には、枝枝幸(えだえさし)という集落もある。だが、ここは枝幸ではなくて雄武(おうむ)。雄武の中に枝幸があるとすれば、..