記事「千葉」 の 検索結果 11171 件
-
君待橋之碑冶承4年(1080年)、千葉常胤一族が源頼朝をこの橋の袂に出迎えたことが「 君待橋」という名前の由来の一つになっているそうです。現在の「君待橋」はここから北方約200mの都川に架けられています。
-
白幡神社治承4年(1180年)9月17日、源頼朝が千葉城の城主千葉常胤に味方するように求めた際、結城稲荷の境内に源氏の白旗をたてて奉納したとのこと。それ以降白旗大明神と称し、明治に至って白幡神社と社号を改めた..
-
大蘇鉄(日本寺)千葉県鋸南町の日本寺境内にある頼朝の手植えと伝えられている蘇鉄。石橋山の戦いに敗れた源頼朝は房州に逃れ再起を図った折に、日本寺で武運を祈願して自ら蘇鉄を手植えしたと伝わっています。
-
日本寺千葉県鋸南町にあるお寺で日本寺大仏があることで知られています。 聖武天皇の勅願により行基によって開山されたとされ、その後隆盛と衰退を繰り返しましたが、復興には源頼朝や足利尊氏の援助を受けたとのことです..
-
頼朝上陸地伊豆の蛭ヶ小島で挙兵した源頼朝は石橋山の合戦で敗れ、真鶴岬から小船で安房国へ逃れました。頼朝が安房に上陸したのは治承4年(1180年)8月29日と伝えられていて、上陸地点は現在の竜島付近とされています..
-
那古寺千葉県館山市にある真言宗智山派のお寺で通称は那古観音。 行基が元正天皇の病気平癒のために千手観世音菩薩をこの地に安置し祈願したところ病気が平癒したので、天皇の勅によりこの寺が建てられたそうです。
-
里見城跡豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼした直後の天正19年(1591年)頃、里見義康は居城を館山城へ移し、館山湾に面した新井浦を港として城下町を建設。この城下町が現在の館山市街地の原形となっているそうです。
-
館山城千葉県館山市館山にあった里見義頼によって築城されたとされる城。現在建つ天守は、昭和57年(1982年)に丸岡城を模して再建された模擬天守閣で、館山市立博物館分館(八犬伝博物館)として利用されています。..
-
洲崎神社(館山)千葉県館山市洲崎に鎮座し江戸時代に安房国一宮とされた神社。治承4年(1180年)、安房に逃れた源頼朝は、上総介及び千葉介へ参上を要請する使者を送り、洲崎神社へ参拝して交渉の成功を祈願したそうです。
-
経塚(下立松原神社)千葉県南房総市千倉町牧田に鎮座する下立松原神社の境内にある経塚。源頼朝が自ら書写し奉納したと伝わる大般若経600巻が、江戸時代中期の明和9年(1772年)に経塚に納められたとのことです。
-
下立松原神社千葉県南房総市千倉町に鎮座する神武天皇元年の創建と伝えられる神社。「義経記」によると石橋山の合戦に敗れた源頼朝は安房に逃げのび、まず、洲崎神社に参拝した後、瀧口大明神(当社)で一夜を明かしたとのことで..
-
仁右衛門島千葉県鴨川市太海の沖合約200mにある周囲約4kmの個人所有の島。石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に逃れた際、平野仁右衛門に助けられ、この島で平家軍から一時身を隠し巻き返しを図ったと伝えられています。..