記事「司馬遼太郎」 の 検索結果 975 件
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不耕貪食の徒「なにしろあなた、江戸、諸国をまぜあわせ、足軽までふくめると十人に一人が武士ですぜ。九人が、米や銭を出しあって一人を養っているのだ。十人のうち一人は何もしない。旧弊なごたくばかりならべて暮している。..
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東郷平八郎を司令長官にした理由「山本(権兵衛)、おまえはなぜ、おれ(日高壮之丞)の首を切り、東郷(平八郎)みたいなぼんくらに決めたんだ」と。権兵衛は日高に説明しました。おまえは大将になれぬ人間だと。だいたいお前は非常に賢い人間であ..
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日本人に2種類ある・・・パークスは、日本赴任以来、おもに幕府高級役人とのみ会い、かれらの卑屈で韜晦的な態度から見て清国政府要人とかわらないと見ていた。かれが清国でやった恫喝だけが日本で通用する唯一の外交手段であると信じきっ..
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覇王の家日本歴史というものは、中国やヨーロッパの概念で言う英雄を一人も生んでいない。そのような、神が生んだとしか言いようのない天才的自己肥大の精神や行動を許容して社会そのものが感応し作動する条件が、日本の地..
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日本人はどここから来たか?司馬: 蘇我氏というのはおもしろいですな。前歴がよくわからなくて、文献的にはにわかに出てくる感じがあるでしょう。にわかにあれだけ強大になるのは、高句麗を考えに入れないとまずいでしょうね。 林屋:..
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がんまつ重政(松倉)の郷里の方言に、 「がんまつ」 ということばがある。 人がなんといおうとも、あるいは人の利害や感情にはいっさいおかまいなしに、めざす物に猿臂をのばし、掴みどりにつかんで放さぬと..
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北方領土・・・、ちかごろ気づかわしいことは、 「北方領土」 とよばれる島々を返せ、という国内世論の盛り上げ運動のことです。たしかに国際法的には、狭義の北方領土(歯舞・色丹と択捉・国後)は古くから日本に..
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以下、無用のことながら・・・ かえすがえすもバカな世だった。 はじまりは一九六〇年代からだったろう、土地投機の盛行からだった。本来、人間社会の基盤である土地を国民が総がかりでアズキか株のようにあつかうという前代未..
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高山彦九郎の旅「今、其の人(食った人)に尋ねるに、馬の味は猪鹿に勝り、人の味は馬に勝ると語れり」 というふうに、異常な事柄に対して、およそ三條大橋の彦九郎らしくもない淡々たる態度で筆を運んでいる。子がその親の..
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政権を亡ぼす宿命の都大阪という都市はすでにその存在そのものが数奇である。・・・・・ とにかく日本の(あるいは世界の)どの都会に比べても都市としての立地条件の良さは、大阪はあるいは最高かもしれない。その価値は、まず日本..
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空っぽだから司馬(遼太郎) 蒙古はなぜ考えさせられるかというと、空っぽだからかな。その向こうの中国という一大農業地帯は、農業がモノをのこすということもあった、歴史と文化でつまっていて、じつにカラフルです。それ..
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今朝の長崎 ~龍馬満開の桜に立つ~竜馬通りの急な石段を上がり、亀山社中跡を過ぎ、さらに細い坂道を登りきると、風頭公園にたどり着く。そこの長崎港を一望する丘の上に、龍馬像が建っている。満開の桜を背に、龍馬の視線は長崎港に注がれていた。..