記事「吉備」 の 検索結果 54 件
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富雄丸山古墳考 34 和気氏の祖先(承前 和気氏の軍功を伝える『新撰姓氏録』) 神功皇后の「戦果」を殊更に強調した記紀の記述は編集者たちの作文のきらいが濃厚ですが、古い資料が「外征」をことごとく否定しているかと言えば決してそうではあ..
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蘇我氏流 2 吉備に屯倉を設ける(承前 『先代旧事本紀』国造本紀より) ずっと時代は下りますが敏達ーー忍坂彦人大兄ーー舒明ーー天智と引き継がれてきた御名入部について、孝徳天皇の皇太子として政局を掌握していた中大兄皇子が、大化二年..
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天津彦根命 4 鍛冶屋さんと神様(承前 神武天皇の皇后は少彦名命と海神族の血をひく人です) また「諸系譜」の東国諸国造系図には天目一箇命の息子である意冨伊我都命の母親が「針間荒田道主日女命」だと註文が添付されていますから、出雲を..
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吉備線の Diagram吉備線は、岡山から(備中高松を経て)総社までの、 約 20 km の非電化単線路線です。 この路線の列車は、すべて普通列車です。平日は (岡山→総社と総社→岡山を合わせて)59本の 列車が..
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古墳と稲背入彦命 4 景行の后は吉備の人(承前) 国立図書館収蔵の「諸系譜」第10冊に含まれる『漆島公』系図によれば、健緒組は、 神武天皇--神八井耳命--彦八井耳命--武宇都彦命--武稲富命 --武河上命--建久久知命..
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古墳と稲背入彦命 3 垂仁「皇子」は疑問(承前) 瑞籬朝(崇神天皇)の時、大分国造と同祖、志貴多奈彦命の児の遅男江命(健緒組)を火国造に定める。 「先代旧事本紀」国造本紀より朝廷、勅して、肥君らが祖、健緒組を遣りて、伐たしめたま..
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吉備播磨と古墳 1 纏向の弧紋円板考古学の世界では従来「三角縁神獣鏡と円筒埴輪は、一つの遺跡から同時に出土することは無い」とされていたのですが、兵庫県揖保郡の小さな山上に築かれていた権現山古墳群51号墳(現、たつの市御津町。全長..
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和気清麻呂 4 鐸石比古神がご先祖(承前) しかし、山野を棲家として人跡未踏の地を切り開く「山人」たちにとって「犬」が忠実な僕であり探索能力に秀でた有難い存在であったように、人里はなれた一見不毛の山林原野の只中に、半ば無尽蔵に自然..
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イタドリと大王 7 丹比氏は出雲にも居住(承前) いつものオマケを一つ、二つ。。詳しい生没年は分かっていませんが、八世紀の半ばころ宮廷で活躍し「万葉集」にも作品二首が採用された多治比真人嶋(624~701)の孫がいました。その一首は、 ..
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イタドリと大王 6 吉備は鉄の名産地(承前) 残った疑問は、その「丹比連」と『日本後紀』が伝える「備中、備後の多治氏」が果たして「同族」なのか?という一点です。これについてはWEB上で、 備中国、阿賀郡丹部(たちべ)郷を拠点と..
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継体たちの后妃 6 朱は永遠の命の象徴(承前) もっと単純に考えるなら、宣化天皇と和邇族の皇女から産まれた娘の名が「石姫」「小石姫」だったので、後世の物知りが和邇・息長・丹比による「朱の輪」の中に火明命を祖とする石作連を一見それらしく..
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備中高松城の水攻め堤防遺構 を訪ねる天正10年(1582年)織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、毛利氏配下の清水宗治「備中高松城」の周りに東南約4km、高さ8mの堤防を築き、周囲200haを湖にして孤立させ、兵糧攻めを行った。 ため池..
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