記事「吉本」 の 検索結果 1570 件
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【西条昇のさよなら日劇コレクション】昭和9年の日劇の「マーカス・ショウ」の公演プログラム①手元にある、昭和9年(1934)3月の日劇での「マーカス・ショウ」の公演プログラム。 マーカス・ショウは当時の吉本興行部の吉本せいや林正之助の弟の林弘高の招聘・プロデュースにより来日したアメリカの..
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【西条昇の少女歌劇コレクション】昭和5年の白鳥座パンフレットいろいろな少女歌劇団シリーズ。元祖ローカル・アイドル。 昭和5年1月の白鳥座パンフレット「白鳥」第四号。 大阪を中心に活動し、同じ吉本の傘下にあった東京少女歌劇団とは姉妹劇団のような関係にあったよ..
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【西条昇の少女歌劇コレクション】大正期の東京少女歌劇団の第一回上演プログラムいろいろな少女歌劇団シリーズ。元祖ローカル・アイドル。 手元にある、大正期の東京少女歌劇団の第一回上演プログラム。 鈴木康義によって大正6年に浅草・三友館で旗揚げされ、浅草・日本館に出演時はアサヒ..
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【西条昇の浅草芸能コレクション】昭和27年の浅草・花月劇場での大江美智子一座のパンフ手元にある、昭和27年の浅草・花月劇場での「鈴鳳劇」二代目・大江美智子一座のパンフ。 大江美智子は、早変わりを売り物に女剣劇ブームを牽引し、昭和30年代には浅草・常盤座をホームグラウンドとして活躍し..
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【西条昇の演芸コレクション】昭和13年の名古屋劇場のパンフ手元にある、昭和13年の吉本直営の名古屋劇場のパンフ。 「ミスワカナ・一郎の漫才と兵隊」全九景。 〈わらわし隊のお芝居!〉〈体験で書いた現地 笑ひのレポドラマ!〉とあるように、ワカナ・一郎が昭和..
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【西条昇の演芸コレクション】昭和13年頃の名古屋劇場でのエンタツ・アチャコの喜劇の実演のパンフ昭和13年頃の吉本興業直営の名古屋劇場のパンフ。 エンタツ・アチャコのお芝居「彌次喜多 角力道中記」五景。 横山エンタツ・花菱アチャコと言えば、昭和5年に結成され、二人が確立した「しゃべくり漫才」..
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【西条昇の演芸コレクション】昭和15年5月の吉本の名古屋劇場のパンフ昭和15年5月の吉本興業直営の名古屋劇場のパンフ。 戦前の吉本の顔の一人であった柳家三亀松師匠の特別出演である。 僕が物心ついた頃には、もう亡くなられていたが、小学生5、6年生の頃にNHKラジオで..
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【西条昇の演芸コレクション】台頭期の柳家金語楼が主任の麻布・十番倶楽部での落語界革新興行のプログラム昭和初期の麻布・十番倶楽部での落語界革新興行のプログラム。 仲入前に金語楼レビュー、主任が柳家金語楼、大切余興が柳家金語楼その他大勢にて熱演の「黒ん坊のジャズバンド」と、金さま獅子奮迅の大サービスぶ..
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【西条昇の演芸コレクション】昭和15年4月の名劇での実演「エンタツ・アチャコの國定忠治」のパンフレット昭和15年4月の吉本直営の名劇(名古屋劇場)での実演「エンタツ・アチャコの國定忠治」のパンフレット。 〈しゃべくり漫才の元祖〉である横山エンタツ・花菱アチャコは、「早慶戦」のヒットで吉本を代表する全..
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【西条昇の演芸コレクション】昭和18年の第一劇場での東京吉本楽劇隊の公演パンフレット昭和18年4月の第一劇場での東京吉本楽劇隊の公演パンフレット。 戦時色が強まって敵性言語が禁止されはじめ、かつて中川三郎のタップダンスや「あきれたぼういず」を売り物に洒落たショーを繰り広げていた「吉..
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【西条昇の演芸コレクション】昭和16年3月の名古屋・赤門花月劇場のパンフレット昭和16年3月の名古屋・赤門花月劇場のパンフレット。 看板はシャミセンオーケスタで、「ミュージック・アルバム」唄と笑と音楽絢爛の十曲。指揮・清川澄子。 表紙の写真では、女性ばかり、三味線6人、アコ..
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【西条昇の演芸コレクション】「あきれたガールズ」の東宝敷島劇場での実演のチラシ東宝敷島劇場での「あきれたぼういず」ならぬ「あきれたガールズ」の実演のチラシ。 昭和12年に吉本の浅草・花月劇場で、川田義雄、坊屋三郎、益田喜頓、芝利英の四人により「あきれたぼういず」が結成され人気..