記事「品川宿」 の 検索結果 18 件
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「東海道を歩く」企画のスタートです。第1回目で日本橋から川崎まで歩いた。遂に新企画「東海道を歩く」をスタートさせる時が来た。朝から涼しい秋晴れで絶好の日和となった。電車で通いなれた東京へ、そして歩いて日本橋へ向かう。久し振りに道路元標(どうろげんぴょう)のあるスタート地..
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品川宿街歩き京急北品川駅に降り立ちそこから旧東海道品川宿を歩く。 屋形船が泊まっているあたり、昔(明治時代も)はそこから海、今は水路はあるが海ははるか先。 台場小学校はペリー来航後に作られた台場(砲台用)で、..
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落語の中の言葉141「品川」古今亭志ん朝「品川心中」より 吉原を北廓といい、品川を南、深川を辰巳という。いずれも江戸の中心からの方角である。品川宿は歩行新宿、北本宿、南本宿の三つから成っていた。 ..
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浜川橋(泪橋)江戸時代、鈴ヶ森の刑場に向かう罪人は立会川に架かる泪橋を渡りました。 罪人にとっても家族や身内の者にとっても、泪橋は最後の別れの場であり、 お互いがこの橋の上で泪を流したことから泪橋と呼ばれていたそう..
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釜屋跡釜屋はかつて南品川にあって大変に繁盛していた建場茶屋の一つ。 慶應4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊士たちは、 同月15日に品川に上陸し、 しばらく釜屋に滞在していたとのことです..
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街道松の広場旧東海道の旧品川宿の数カ所には街道松と呼ばれる松が植えられて いて、その中の一つ「品川宿の松」が「街道松の広場」に植えられています。 浜松市の有賀慶吉氏から寄贈された樹齢80年の黒松とのことです。
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品川橋品川宿の中央にあり北品川宿と南品川宿を分けていた目黒川に架かる東海道の橋。 昔は北の天王祭(品川神社)と南の天王祭(荏原神社)の祭礼が同じ日で、 両社の神輿がこの橋で行きあった事から、行合橋とも言われ..
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品川宿本陣跡(聖蹟公園)品川宿は東海道53次の第1番目の宿場街として発達した江戸4宿の1つ。 現在、本陣の跡地は公園となり、明治元年(1868年)に明治天皇の行幸の 際の行在所となったことに因み、 聖蹟公園と命名されています..
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土蔵相模跡品川宿にあった「相模屋」という高級妓楼は、土蔵づくりから「土蔵相模」と 通称されていたそうです。高杉晋作など幕末の志士たちの会合場所としてよく使われ、 また、桜田門外の変を起こした水戸浪士たちも、前夜..
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問答河岸跡三代将軍家光がこの地にあった東海寺を訪ね、その帰り際に沢庵禅師と 「海が近いのに、東(遠)海寺とはこれいかに」 「大軍を率いても将(小)軍と言うがごとし」 と問答を交わした地とのことです。
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初体験 ゲストハウス今回の旅行は、宿にいる時間が少ないことが分かっていたから 出費を抑えること優先で、初めて「ゲストハウス」ってとこに泊まりました。 外国でも泊まったことないのに、日本で泊まるとは・・・。 ちな..
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品川宿-川崎宿の見所その13 磐井神社鈴ヶ森刑場跡から15分ほど先に磐井神社があります。 磐井神社は573(敏達天皇2)年に創祀されたと伝えられる由緒ある神社です。 境内にある鈴石・烏石・子連れの狛犬、境内から外れたところにあ..
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