記事「埼玉」 の 検索結果 9766 件
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三ツ木原古戦場天文6年(1537年)、北条氏綱が河越城を手に入れようと侵攻してきた際、迎撃に出てきた河越城の上杉朝定と、両軍入り乱れての戦いがあった場所。また、新田義貞の鎌倉攻めの時にも、ここで合戦があったと伝わっ..
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川越城上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗するために江戸城とともに築城。長禄元年(1457年)に太田道真・道灌父子により築城されました。嘉永元年(1848年)に再建された本丸御殿の一部が現在に残されています。
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太田道灌像(川越)長禄元年(1457年)、足利氏の勢力に対抗する上杉氏の本拠地として、上杉持朝は家宰の太田道真、太田道灌父子に川越城の築城を命じました。川越市役所庁舎(川越城大手門跡)に、太田道灌の像が建てられています..
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仙波東照宮元和2年(1616年)に薨去した徳川家康の法要は、久能山から日光山に改葬される元和3年に、天海によって喜多院で行われました。その際、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜され、この地に東照宮が創建されま..
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天海大僧正像埼玉県川越市にある喜多院の山門前にある南光坊天海の像。天海は、慶長4年(1599年)に無量寿寺北院の住職となり、慶長17年に北院の再建に着手し、寺号を喜多院と改め関東天台の本山としました。
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三ツ木城跡埼玉県桶川市にある城跡。城の居住者は、足立遠元、あるいは石井丹後守、等の諸説があるとのことです。現在は城山公園として市民プールやテニスコート等を整備した公園になっています。
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足立遠元館跡桶川市役所桶川東公民館の脇に足立遠元の館跡の碑があります。足立遠元は足立氏の祖で、平治の乱で源義朝に従軍して功績を挙げ、馬術に優れた武士であると「平治物語」に記述されているそうです。
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砂久保陣場天文15年(1546年)の川越夜戦の時に上杉憲政が陣を取ったところ。憲政はこの砂久保に陣をとり8万余騎の兵力で川越城を攻めましたが、やがて援軍にかけつけた北条氏康の8千の兵により敗走させられました。
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岡部六弥太墓埼玉県深谷市普済寺に岡部六弥太忠澄の墓と伝わる塔があります。岡部六弥太忠澄は治承・寿永の乱の際には源氏方について出兵し、一の谷の戦いで、平家の名将平忠度を討ったことで知られる武将です。
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平忠度墓平忠度は平安時代の平家一門の武将で平忠盛の六男、平清盛の異母弟。一ノ谷の戦いで、源氏方の岡部忠澄に討たれましたが、岡部忠澄は忠度の菩提を弔うため、現在の埼玉県深谷市の清心寺に供養塔を建立しました。
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源義賢墓源義賢は源為義の次男で、源義朝の異母弟であり木曾義仲の父。久寿2年(1155年)8月、義朝に代わって鎌倉に下っていた甥・源義平に大蔵館を襲撃され、大蔵合戦に及んで義父・重隆とともに討たれました。
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清水八幡宮埼玉県狭山市入間川に鎮座する木曾清水冠者義高を祀る神社。鎌倉に人質となっていた木曽義高は鎌倉を脱出しましたが、入間河原の八丁の渡で追いつかれ、藤内光澄によって討たれてしまいました。