記事「埼玉」 の 検索結果 9571 件
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義の武将 斎藤実盛ゆかりの地(熊谷市)妻沼聖天山悲劇の武将と言われる斎藤実盛ゆかりの地を訪ねました。 <斎藤実盛像>さいとうさねもり 実盛が開創した熊谷市の妻沼聖天山で撮影しました。 斎藤実盛が生きた時代は平安時代末期。藤原利仁の..
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国宝の聖天堂(熊谷市)妻沼聖天山<妻沼聖天山>めぬましょうでんざん 聖天堂が国宝に指定されている熊谷市の妻沼聖天山を訪問しました。 ■ 現地訪問 ■ <妻沼聖天前> 現地到着。私は熊谷駅からバスを利用。所要時間は..
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代山城のなごり(さいたま市)<代山城>だいやまじょう さいたま市の代山城跡です。詳細は不明ながら、室町時代に城が築かれたと推定されています。城の主は岩槻太田氏の家臣・小久保縫殿助(るいどののすけ)。豊臣秀吉による小田原征伐..
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鉢形城主・北条氏邦と家臣団が奉納した木造十二神将立像北条氏邦と家臣たちが秩父の寺院に奉納した木造十二神将立像を見てきました。 <十二神将立像>じゅうにしんしょう 薬師如来を信仰する者を守護するとされる十二神将。埼玉県立歴史と民俗の博物館..
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中山道桶川宿のなごり今回は中山道の宿場町として栄えた桶川宿の話です。いまも昔の名残を留める宿場跡を訪ねました。 <中山道桶川宿>おけがわじゅく 中山道桶川宿は、日本橋から数えて6番目の宿場です(板橋→蕨→浦和..
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日光御成道と鎌倉街道のなごり(川口宿)鎌倉橋の碑今回は川口の宿場跡に漂う日光御成道と鎌倉街道のなごりの話です。 <鎌倉橋の碑> ■日光御成道とは■にっこうおなりみち 日光御成道とは、将軍の日光社参のために整備された街道を指します。..
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辻村の三叉路(岩槻)日光御成街道と粕壁道の分岐点日光御成街道は、将軍の日光東照宮参拝のために整備された街道です。今回はその通り沿いの三叉路の話です。現地はさいたま市岩槻区です。 <分かれ道> 左へカーブする日光御成街道、そして右へそれる..
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暗渠と城跡37 道路沿いの住宅に漂う岩槻城大構のなごり鎌倉時代以前に築かれたとされる武蔵国の岩槻城は、戦国時代末期には、城だけでなく、城下町の外周も堀や土塁で囲む総構(そうがまえ)の構造となっていました。ここ岩槻では、総構のことを大構(おおがまえ)といい..
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沼が消えても地形は残る(岩槻城)天然堀のなごり<さいたま市岩槻区> この下り坂はさいたま市岩槻区で撮影しました。都市化によりコンクリの街となっていますが、坂を下ったところには、かつて岩槻城の天然堀だった巨大な沼がありました。 <久伊豆..
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駅からすぐの武家屋敷の門(武蔵浦和駅)細淵家住宅長屋門武蔵浦和駅近くに有形文化財の長屋門があると聞いて訪問してみました。 <細淵家住宅長屋門>ほそぶちけ 市街地に突然現れる重厚な長屋門。国登録有形文化財に指定されています。長屋門とは江戸時代の..
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佐枝氏館のなごり(岩槻)龍門寺境内の土塁跡戦国時代の館跡を訪ねました。 <佐枝氏館跡>さえだしやかた 場所はさいたま市岩槻区の龍門寺境内です。佐枝若狭守館土塁であることが記されています。 <土塁跡> 昔はもっと高かった..
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岩槻城大手門のなごり岩槻城のかつての大手門付近を探索しました。 <岩槻城大手門跡> ここは大手門があった場所です。正確な位置が分からないので、とりあえずこのプレートを目指して歩いてきました。柵の向こう側はかつ..