記事「宇野哲人」 の 検索結果 7 件
-
知っておきたい!大学の名言前回の『論語』に続き、今回は『大学』の中から、名言をいくつか取り上げてみましょう。 『大学』とは、『論語』『中庸』『孟子』とともに「四書」の一角をなし、 儒教の代表的経典とされる名著であります..
-
桶泉克夫の解題: 『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店) その8[承前]その7はこちら 45。2人は沿道の古跡を貪欲に見て歩く。幾多の皇帝の陵、歴史を彩った英雄どもの墓に彼らを讃える石碑、廟、仏教寺院など。その大部分は顧みる人とてなく荒れ果てたままであり、管理は..
-
桶泉克夫の解題: 『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店) その6[承前]その5はこちら。 28。開封でも宇野は精力的に旧跡を訪れているが、興味深いのが?經胡同と呼ばれるユダヤ人街の探訪だろう。宋代に西方から移住してきた彼らは、明代に至って王朝から住宅を下賜さ..
-
桶泉克夫の解題: 『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店) その5[承前]その4はこちら。 24。宿に戻った宇野を曲阜の知事が訪ねてきた。宇野が改めて「魯國の地、孔孟の遺風猶存するものありや」と問うと、「弊國の人士、口を開けば即ち孔孟を説く、然れども唯嘴裏のみ..
-
桶泉克夫の解題: 『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店) その4[承前]その3はこちら。 16。ドイツが98年3月に独清条約を結び、99年期限で膠州湾を租借。膠州湾を占領してから「まだ數年にしかならぬが、金を費やすこと既に十二億マルク、第一着に道路・水道・下..
-
桶泉克夫の解題: 『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店) その2[承前]その1はこちら。 6。 「支那に入つて最も不都合で不便利を感ずるのは、貨幣制度の一定せぬことである」。「擁するの支那の貨幣は一定の本位が無く、凡て制定せられた價格の如何に拘はらず、其の實..
-
桶泉克夫の解題: 『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店) その1久しぶりに表記を採り上げる気になったのは、宇野 哲人(うの てつと、明治8年(1875年)11月15日 - 昭和49年(1974年)2月19日)が主題だからだ。周知の通り「儒学者で、東洋学の..
- 前へ
- 次へ