記事「宝塚歌劇」 の 検索結果 674 件
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【西条昇のレヴュー史研究】1920年代のカジノ・ド・パリのポスター1920年代のカジノ・ド・パリのポスター。 パリらしい豪華な美しさ。 この当時のカジノ・ド・パリやフォリー・ベルジュールの舞台を観た岸田辰彌や白井鐵造が宝塚流レヴューを確立し、二つの名前を組み合わ..
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【西条昇のレヴュー・コレクション】昭和8年の宝塚少女歌劇団月組「花詩集」のマッチラベル手元にある、昭和8年8月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団月組による大レヴュー「花詩集」のマッチラベル。 「花詩集」は「パリゼット」と並ぶ白井鐵造の代表作で、宝塚レヴューの路線を決定づけた作品と言える..
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【西条昇のレヴュー・コレクション】昭和8年の宝塚少女歌劇団「巴里ニユーヨーク」のマッチラベル手元にある、昭和8年2月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団月組による大レヴュー「巴里ニユーヨーク」(作・演出 白井鐵造)のマッチラベル。 好評に付続演とあるように同作品は同年1月には花組によって上演され..
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【西条昇のレヴュー・コレクション】昭和8年の宝塚少女歌劇団「世界一周」のマッチラベル手元にある、昭和8年(1933)4月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇団花組による歌劇二十周年記念 大レヴュー「世界一周」のマッチラベル。イラストが可愛いね。 歌とダンスと寸劇で繋ぐ世界めぐりは、もともと..
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【西条昇のコント史研究】昭和9年の宝塚歌劇「ヂャブヂャブ・コント」マッチラベルとコントの歴史手元にある、昭和9年8月の宝塚大劇場での宝塚少女歌劇雪組のノンストップ・レヴュウ「ヂャブヂャブ・コント」のマッチラベルを見て、日本の舞台芸能で最初に「コント」という言葉を使ったのは喜劇・演芸のジャンル..
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【西条昇のレヴュー・コレクション】昭和2年の宝塚歌劇「モン・パリ」の楽譜手元にある、昭和2年(1927)9月に宝塚少女歌劇団・花組によって初演された岸田辰彌・作のレヴュー「モン・パリ ~吾が巴里よ!~」の楽譜。 日本のレヴューは、ここから始まった! 岸田劉生の弟で帝..
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【西条昇のレヴュー・コレクション】〝ニセ宝塚〟宝塚舞踊歌劇団の公演チラシ手元にある、昭和初期のニセ宝塚歌劇団のチラシ。 「涼艶萃麗秋の大レヴュー!!」とのキャッチ・コピーに、「宝塚舞踊歌劇団」との劇団名。 はじめは普通に当時の宝塚少女歌劇のものかと思ったが、よく見てみ..
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【西条昇の少女歌劇コレクション】日本少女歌劇団の女優たちの昭和初期の写真カードいろいろな少女歌劇団シリーズ。元祖ローカル・アイドル。 手元にある、日本少女歌劇団の女優たちの昭和初期の写真カード。 日本少女歌劇団は、宝塚少女歌劇団などの影響を受け、大阪府東大阪市の日下温泉の余..
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【西条昇の浅草エンタメ日記】浅草オペラ100周年イベントの記者会見へ秋に東洋館で行われる浅草オペラ100周年に関する公演の記者会見へ。 東京室内歌劇場メンバーによるパフォーマンスも有り。
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江戸川大学の卒論提出日今日は江戸川大学の卒論提出日でした。 僕の4年のゼミ生11名も全員無事に2万字の卒論を提出し終わり、研究室で打ち上げピザ・パーティーを。 今年5月に亡くなれたゼミ生の丸山夏鈴さんのお母様からお贈り..
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【西条昇のレヴュー・コレクション】昭和2年の宝塚少女歌劇「モン・パリ」の楽譜昭和2年(1927)9月に宝塚少女歌劇団・花組によって初演された岸田辰彌・作のレヴュー「モン・パリ ~吾が巴里よ!~」の楽譜。 日本のレヴューは、ここから始まった! 岸田劉生の弟で帝国劇場歌劇部..
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【西条昇の軽演劇コレクション】有楽町・日劇小劇場「日小バァレスク」シリーズのパンフレットストリップの確立に貢献のあった劇場を調べてみると、ある共通点に気がついた。 帝都座ショウが新宿帝都座の五階、新宿セントラル劇場が新宿東宝の五階、日劇ミュージックホールが日劇の五階、浅草フランス座も途..
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