記事「少年」 の 検索結果 1969 件
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ホッと空の物語-9 家系と父母の記憶家系と家族のこと 近藤姓は母方のものである。家紋は「丸に三つ橘」である。橘紋は橘氏族、藤原氏族に多い。一般の家紋帳に記された紋の形は橘の一つが真上にある。墓石には真下にある紋が刻まれている。生前..
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ホッと空の物語ー8 高校生の頃憧れの高松高校に入った。父母は喜び、当時貴重な羊毛の学生服を買ってくれた。 高松高校は戦後の昭和23年に高松中学と高松高等女学校が一緒になって、新制高校として発足している。校舎は戦災による焼失をのが..
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ホッと空の物語ー7 中学生の頃中学は地元の高瀬中学校である。家から自転車で小学校を通過して国鉄の駅の側を通り、東に5kmほどである。駅前は町内一の繁華街で映画館も二軒あった。今はごく普通のひなびた町であるが、当時は子供にはとても刺..
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ホッと空の物語ー6 昭和30年代の世相と風俗昭和30年代の生活 風俗の話 毎年熊岡八幡さんで祭りがあった。そのほかの祭りは流鏑馬(ヤブサメ)なんかも集落単位でしていたらしいが、私の記憶では一回だけしかない。この八幡は相当古く、昭和58年(..
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ホッと空の物語ー5 昭和30年代の生活比地の暮らし 春夏秋冬が今よりはっきりしていたように思う。気候の問題だけではなくエアコンや冷蔵庫がなかった事もあるだろう。中学の女先生が、年を取ると春よりも物悲しい秋が良くなると言ったが、私は昔から..
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ホッと空の物語ー4 実家の記憶比地の家 実家は讃岐の西の方にある七宝山の東山麓に位置している。集落の名前は成行と言う。住所は三豊郡高瀬町大字比地で、今は三豊市になっている。 屋敷は、ほぼ東西に走る集落の細い大通りの北側に位置し..
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ホッと空の物語ー3 小学生の頃ピカピカの1年生 小学校に入るとピカピカの1年生と言うが、そうでもなかった。入学式の写真が1枚残っているが、皆面白い格好をしている。履物も長靴から藁草履、はだし等、色々である。制服が買えない家庭もあ..
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ホッと空の物語-2 おぼろな記憶おぼろな記憶 ごろりと回ると、とても眩しい日の光が眼をさした。どうも上を向いたみたいである。やけに体がころころする。分厚く着せられているのだろう。またごろりと回ると、頬がチクチクする。ムシロ..
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ホッと空の物語-1 瞬きのはじめ瞬きのはじめ ゴロリと横になると、芝生の匂いが心地良い。今日の陽射しは北フランスの古都リールの11月初旬にしては暖かい。空に北北東に向かって飛行機雲ができている。あの高度なら日本行だろう。俺は..
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【死刑】 永山基準とは何か 永山紀夫の生い立ちHiyokoBancho3 さんが 2009/10/05 にアップロード YouTube 1968年、19歳の少年・永山則夫による連続射殺事件。獄中に書いた本はベストセラーに。彼の人生はいったいどの..
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ハツラツなアイツ。元気をもらいに。公園に行くと、元気な子どもたちの姿を見ることができる。それを見て私は元気をもらおうとする。 若者は未来の宝で、将来この見えない社会を支えてくれる。そのためにああやって公園で遊んでいる..
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はだしで駆けた少年5月上旬になると空気は急に暖かくなり、初夏を思わせる陽気だ。この頃になると公園や学校の校庭の木々の緑が濃くなり、蝶や蜂など飛んでいる虫の数もぐんと増えてくる。少年の私は嬉しかった。昆虫採集用の網を持ち..