記事「山梨」 の 検索結果 5700 件
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恵林寺三門天正10年(1582年)3月、恵林寺は織田信長軍による焼き討ちに遭いましたが、この時快川紹喜は「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と、燃え盛る三門の上で「碧巌録」第四十三則の偈を..
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武田信玄像山梨県甲州市の武田氏菩提寺の恵林寺の横にある土産物店「信玄館」の敷地にある武田信玄の像。この像は正面ではなく若干左の方を見ています が、実は向かいの恵林寺にある武田信玄公のお墓を見つめているそうです。..
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理慶尼墓理慶尼は武田晴信(武田信玄)の従妹に当たる戦国時代の女性。新府城から落ち延びてきた武田勝頼一行が大善寺に立寄った際の様子を物語調に「理慶尼記」(武田滅亡記、大善寺蔵)として記したそうです。大善寺境内に..
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大善寺(勝沼)山梨県甲州市勝沼町にある本尊を薬師如来とする真言宗智山派のお寺。新府城から岩殿城に向かう武田勝頼が途中で立ち寄り、また幕末には甲陽鎮撫隊がこの付近で新政府軍と戦うなど、歴史の舞台にもなっています。
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柏尾古戦場甲州勝沼の戦いは、慶応4年3月6日(1868年3月29日)に行われた戊辰戦争の一つで、柏尾の戦い、勝沼・柏尾の戦い等とも呼ばれています。近藤勇率いる甲陽鎮撫隊は、新政府軍に敗れ、江戸へと敗走しました。..
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近藤勇像(勝沼)慶応4年3月、近藤勇率いる新選組は甲陽鎮撫隊と改称して甲州へと進軍。当初は甲府城を目指しましたが、官軍の東山道軍と勝沼字柏尾で交戦し、兵力・武力とも官軍と比べ脆弱な鎮撫隊は僅か1日の戦闘で壊滅しました..
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武田勝頼公霊社新府城本丸跡にある武田勝頼の慰霊塔で、左右に家臣の慰霊柱も並んでいます。武田勝頼は天正9年(1581年)の年末には、未完成の新府城へ移住しましたが、そのわずか3か月後に城に火を放ち滅亡していきました。..
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新府城跡天正9年(1581年)に武田勝頼が現在の山梨県韮崎市中田町に築城した城。韮崎は甲府盆地北西端に位置していますが、ここは戦国期に拡大した武田領国の中枢に位置し、甲府よりも広大な城下町造営が可能であったと..
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藤武稲荷神社新府城築城の際、稲荷曲輪に城の守護神として祀られた神社だそうで、現在でも、勝頼公を合祀され、新府城本丸跡に鎮座しています。落城とともに焼失した神社を徳川家康が再建したと伝えられています。
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信玄公御使用井戸武田神社(武田氏館跡)境内にある武田信玄が使用したと伝わる井戸。武田氏館(躑躅ヶ崎館)は、永正16年(1519年)に武田信虎によって築かれ、以後、晴信(信玄)・勝頼まで3代にわたって武田領国の政治的中..
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武田神社山梨県甲府市古府中町に鎮座する武田信玄をご祭神とする神社。大正8年(1919年)に、躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に社殿が竣工し、武田信玄の命日にあたる4月12日に、初の例祭が行われたそうです。
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天目山栖雲寺山梨県甲州市大和町木賊にある臨済宗建長寺派のお寺で、山号は天目山。天正10年、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻に加え、家臣の小山田信茂の謀反にあった武田勝頼が、落ち延びる際に目指した地とされています。