記事「岐阜」 の 検索結果 6009 件
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芭蕉句碑(青墓)松尾芭蕉が、円興寺の源朝長公の墓にお参りした時に作った句。 苔埋む 蔦のうつつの 念仏哉 元円興寺の仁王門推定地のすぐ近くに、碑が建てられています。
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大炊家墓岐阜県大垣市青墓町の源朝長の墓のすぐ側に、大炊家の墓があります。 青墓の長者の大炊兼遠の娘延寿は、源義朝の側室であり、平治の乱で 敗れた源義朝は、大炊氏を頼って青墓まで落ち延びてきました。
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源朝長墓源朝長は、平治の乱で敗れ、父や兄弟達とともに東国へ落ちる途中、美濃国 青墓宿で傷が悪化し、父の義朝に頼んで殺害してもらったと伝わっています。 右が父源義朝、真中が兄源義平、左が源朝長のお墓です。
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円興寺岐阜県大垣市青墓町にある天台宗のお寺で、西美濃33霊場第32札場。 もとは別な場所にありましたが、万治元年(1658年)に現在地へ移転し、 現在の円興寺には、源朝長の位牌や関わる遺品が伝わっている..
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兜塚関ケ原合戦の前日、慶長5年9月14日(1600年10月20日)に発生した、 関ケ原合戦の前哨戦である杭瀬川の戦いで戦死した東軍、中村隊の武将、 野一色頼母を葬り、その鎧兜を埋めたと伝えられている場..
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赤坂宿御使者場跡中山道の赤坂宿の兜塚の傍に、御使者場跡というのがあります。 赤坂宿には東西の出入り口に御使者場があり、これは西の出入り口にあった もので、大名が宿場に入る際、宿役人や名主が出迎えた場所とのことです..
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安楽寺大垣市赤坂町勝山にある浄土宗のお寺で、西美濃33霊場21番札所。 推古天皇元年(593年)に、聖徳太子により創建されたという古刹です。 関ケ原合戦の時には、徳川家康がこの裏手の山に岡山本陣を置きま..
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岡山本陣跡関ケ原の合戦の前日に、徳川家康が本陣を置いたところで、この日、 大垣城にいた石田三成との間で、杭瀬川の戦いが起こりました。 この後、徳川家康はここから西方の、関ケ原の桃配山に陣を移しました。
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関ケ原合戦慰霊碑慶長5年9月14日(1600年10月20日)、関ケ原の戦いの前哨戦である 杭瀬川の戦いが起こり、局地戦ではありましたが、西軍が大勝しました。 当時、徳川家康の本陣のあった岡山の麓に、関ケ原合戦慰霊..
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御首神社岐阜県大垣市荒尾町にある、平将門公の御神霊を祭神とする神社。 京で晒し首にされていた平将門の首が関東へ戻ろうと飛び立ちましたが、 途中で射落とされ、その首が落ちたところに創建されたと伝わっています..
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日吉神社岐阜県大垣市の大垣城から北西に約2kmのところに鎮座する神社。 すぐ近くに杭瀬川が流れ、慶長5年9月14日(1600年10月20日)に、 関ケ原合戦の前哨戦である杭瀬川の戦いの行われた場所とされて..
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大垣城現在の岐阜県大垣市にあった城で、麋城、巨鹿城とも呼ばれていたそうです。 関ヶ原の戦いの際には、当時城主であった伊藤盛宗が西軍に属したため、 石田三成が入城し西軍の拠点となりましたが、西軍の敗戦後に..