記事「川崎」 の 検索結果 3689 件
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問屋場跡(川崎宿)京急川崎駅からすぐ近くの、砂子一丁目交差点北東角に案内板があります。 宿場業務の監督をするのが問屋場で、川崎宿では、約30人の問屋役人が、 昼夜交代で勤務し、その職務は繁忙をきわめたそうです。
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宗三寺京急川崎駅から程近いところにある、曹洞宗のお寺。 中世前期、この付近には勝福寺というお寺があったそうですが、宗三寺は その後身とみられ、戦国時代、この地を知行した間宮氏が中興したそうです。
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東海道かわさき宿交流館東海道かわさき宿交流館は、JR川崎駅、また京急川崎駅からすぐ近く、 旧東海道に面したところにあり、東海道川崎宿の歴史・文化を学び、それを 後世に伝え、地域活動・地域交流の拠点となることをめざした施..
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田中本陣跡(川崎宿)東海道53次の2番目の宿場街であった川崎宿の本陣のあった場所。 本陣家の主人である田中休愚は、本陣、名主、問屋の三役を兼務し、 六郷の渡船権を譲り受けて、宿場の財政を立て直したと伝わっています。
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明治天皇六郷渡御碑六郷橋右岸下流側脇に建てられている、明治天皇東京行幸の際の記念碑。 明治天皇が京都御所から江戸へと向かう際、多摩川を渡りましたが、 当時は橋がなく、23艘の船を横に並べて上に板を敷き渡御されたそう..
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枡形城址建久年間に稲毛三郎重成により築城されたと伝わる城。稲毛三郎重成の 妻は源頼朝の正室政子の妹。戦国時代以降は廃城となり、現在は公園と して整備されています。
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稲毛重成墓川崎市多摩区の広福寺にある稲毛重成の墓。重成の正室は源頼朝の正室 である政子の妹。その妻の死後、建久9年(1198年)に、重成は亡き妻のた めに相模川に橋をかけ、その橋の落成供養に頼朝も出席しまし..
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廣福寺川崎市多摩区枡形の枡形城址の北側のふもとにあるお寺。廣福寺の寺地は、 源頼朝の有力御家人の一人であった稲毛三郎重成の館跡ともいわれており、 観音堂の裏には重成の墓といわれている五輪塔が伝えられてい..
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教安寺川崎市川崎区にある浄土宗のお寺で、境内には江戸時代に鋳造された 梵鐘があり、この梵鐘は市内に今でも残る3つの中の一つとのことです。 また、江戸中期に生き仏様と敬われた徳本上人の六字名号碑もあります..
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旧橘樹郡役所跡記念碑旧東海道、現在の砂子交差点より少し南に下ったところにある記念碑。 大正2年(1913年)に、当時の川崎町砂子に威風堂々とした橘樹郡の 郡役所が建てられ、川崎・保土ヶ谷2町と17村の行政に当ったそう..
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佐藤本陣跡東海道53次の2番目の宿場街であった川崎宿に3つあった本陣の中の1つ。 別名、惣左衛門本陣といわれ、14代将軍家茂が京に上る際に宿泊しました。 明治23年(1890年)、詩人佐藤惣之助がこの家で生..
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砂子の里資料館川崎市川崎区砂子の旧東海道沿いにある、浮世絵コレクション展示が中心の 私立美術館。「砂子の里」の名前の由来は、太田道灌がかつてこの地を訪れ、 「かもめいる いさごの里にきてみれば‥‥」と詠んだこと..