記事「応神天皇」 の 検索結果 184 件
-
銅鐸と応神天皇 4 少彦名命の実態(承前) そして、記紀がホムツワケ神話で暗喩したかった事こそ、応神天皇の祖神であり天津彦根命の子である天日鷲翔矢命(少彦名命)の実像だったと考えられます。 三島溝杭耳命あるいは鴨健角身の亦名を..
-
銅鐸と応神天皇 2 天孫族の主流、分流(承前) 垂仁天皇の「皇子」とされるホムツワケは、どういう訳か生まれつき言葉が不自由で「齢三十」になっても未だ「言語」を発することがなかったのですが、ある日、空高く飛ぶ「鵠(クグイ=白鳥)」の姿を..
-
黄金三角 8 河内は継体帝の庭(承前) 河内国を実効支配していた多治比(丹比)真人家は農地の開墾を進める一方で、農業用水を安定的に確保するための治水工事も行っていました。そして、国の事業として造られた「依羅(依網)池」と公の田..
-
銅鐸の魅力 4 鹿の強い霊力(承前) 一方「占い」ではありませんが「播磨風土記」には鹿についての大変珍しい伝承が残されています。それは讃容の郡の冒頭に置かれた次のような記事です。 讃容(さよ)という所以は、大神(伊和大..
-
宇佐の黄金伝説 7 神託通りに金産出(承前) 幸いなことに宇佐に祀られることとなった応神天皇・誉田別尊の威光はあらたかなもので、国内では藤原氏の一族・藤原広嗣(ふじはら・ひろつぐ,?~740)が乱を起したものの、異国からの進攻によっ..
-
宇佐の黄金伝説 6 強い神を祀れ(承前) 日本は、卑弥呼の時代から連綿と大陸・半島に存在する国家・集団と緊密な関係を維持していました。その実態は朝献貿易であったのかも知れませんが、常に外交アンテナを大陸方面に向け国際情勢の変化を..
-
宇佐の黄金伝説 5 九州と海の神様(承前) もし、日本書紀の言う通りだとすると話しは更に込み入ったことになります。と言うのも、旧HPオノコロ・シリーズの忠実な読者なら覚えているように、宗像三神は須佐之男(すさのお)の子供であり、多..
-
宇佐の黄金伝説 4 「たらし」と「わけ」(承前) どの代の、どの人からが実在した人物なのか、という難しい話はさておいて、前回の表を見てもらえば、或る一つの傾向があることに気付きます。それは「初代から14代までの天皇に用いられていた『たら..
-
宇佐の黄金伝説 2 記紀は宇佐を語らず(承前) また『宇佐神宮由緒記』によれば、創建からさかのぼること二世紀余、西暦568年(欽明天皇29年)、 泉の湧く処に「鍛冶をする老人」や「八つの頭のある龍」が現れ、 その姿を見た者..
-
宇佐の黄金伝説 1 全国に三万の八幡社おほ海の 磯もとどろに 寄する浪 割れて砕けて 裂けて散るかも 鎌倉右大臣・源実朝(みなもと・さねとも。1192~1219)の私家集『金槐和歌集』(きんかいわかしゅう)に収められている一..
-
応神と稲背入彦 2 景行と播磨国の縁(承前) 万葉集には「稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見(稲日野も 行き過ぎかてに思へれば 心恋しき 加古の島見ゆ)」という柿本人麻呂の一首が収められていますが、この歌を参考にするな..
-
高良と竹内宿禰 5 神々の変遷(承前) この「玉」という言葉は容易に「魂」を連想させますが、記紀神話でもお馴染みの神々の名前にも「玉」や「魂」は頻繁に現れます。例えば欽明朝に「田令(たつかい)」として、備前国児島に赴任したとさ..
- 前へ
- 次へ