記事「新潟」 の 検索結果 9344 件
-
はしご橋北越戊辰戦争の際、長岡城の奪還を目指す長岡藩兵が通過したとされる橋。 八兆沖と呼ばれる沼沢地を長岡藩兵が進行した時に、梯子で橋を架けたとも、 また、長岡藩兵の旗印が「五間梯子」だったからとも云われ..
-
大黒古戦場大黒古戦場は、会津戦争以上と云われた北越戊辰戦争の最大の激戦地跡。 新政府軍が堡塁を築いていた跡が、現在では大黒古戦場パークとして整備 され、山本五十六中将の揮毫による「戊辰戦績記念碑」等がありま..
-
北越戊辰戦争伝承館北越戊辰戦争の激戦地だった、現在の長岡市大黒町に建つ伝承館。 館内には長岡城の攻防戦の様子がわかりやすく展示されていて、また、 バルコニーからは、長岡藩軍が決死の覚悟で渡った八兆沖が見渡せます。
-
東軍第二砲台場北越戊辰戦争の激戦地の一つで、八兆沖と呼ばれた沼の北に位置し、 長岡城の奪還を目指す長岡藩軍を中心とする同盟軍が砲台を置いた場所。 長岡藩軍が7月25の夕刻、八兆沖の渡渉を開始した地点ともされてい..
-
永閑寺新潟県見附市今町にある真宗大谷派のお寺。 1623年(元和9年)の開山で、御本尊は約500年前の作の阿弥陀如来。 北越戊辰戦争の時には新政府軍の本陣となり、激戦地となりました。
-
今町激戦地跡長岡城を陥落させた新政府軍は、今町を防衛の拠点とする。 長岡城の奪還を目指す長岡藩軍は北部から南下して今町を攻撃。 5月29日午後、源助坂と呼ばれたこの付近で激戦が繰り広げられました。
-
弾痕の跡新潟県見附市今町に残る、北越戊辰戦争の時の弾痕跡。 この弾痕は、長岡城の奪還を目指す長岡藩軍が新政府軍の守る今町を 攻撃した、所謂「今町奪還作戦」の時の弾痕と伝えられています。
-
坂井神明社新潟県見附市坂井にある神明社。 北越戊辰戦争の時には、長岡城の奪還を目指す長岡藩の山本帯刀が ここに陣を置き、砲台を据え、今町攻撃の前線基地となりました。
-
加茂本陣跡北越長岡戦争で、新政府軍の攻撃により長岡城が落城。 再起を期した河合継之助は、加茂の大庄屋市川邸に本陣を構えました。 後に、明治天皇が北陸御巡幸の際、この地でお食事をとられたとのことです。
-
曾我量深・平澤興像旧笹川家住宅に隣接する、曽我・平澤記念館の中庭にある両氏の像。 曾我量深は明治~昭和期に活躍した仏教思想家で、大谷大学学長を務め、 平澤興は脳神経解剖学を専門とし、京都大学総長まで務めた人物です。..
-
曾我・平澤記念館新潟県南区味方にある旧笹川家住宅に隣接する郷土出身の2人の偉人を 紹介する記念館。曾我量深は旧味方村出身の仏教思想家。平澤興は新潟 県西蒲原郡七穂村(のち味方村)出身の医学者です。
-
旧笹川家住宅笹川邸は、新潟県新潟市南区味方にある歴史的建造物。 慶安2年(1649年)から明治維新まで、9代にわたり大庄官を続けた旧家。 1万4千平方メールの敷地があり、母屋など11棟他が国の重要文化財です。..