記事「新潟」 の 検索結果 9557 件
-
上杉謙信像(春日山城跡)戦国武将上杉謙信の城として知られる、春日山城跡に建つ上杉謙信像。 上杉謙信は、享禄3年(1530年)1月21日、春日山城内に生まれ、最期は 春日山城内で倒れ、天正6年(1578年)3月13日に急死..
-
春日山神社米沢の上杉神社より分霊された、上杉謙信命を祀る春日山山腹にある神社。 明治20年(1887年)、祭神の遺徳を慕う旧高田藩士小川澄晴が発起し、 前島密らの援助を受けて、明治34年(1901年)に創祀..
-
上越市埋蔵文化財センター春日山城跡の麓にある、上越市内の埋蔵文化財を研究・保管・公開する 施設で、市内の歴史に関する展示のほか、調査室の大きな窓からは、 出土品の整理や復元作業を見ることができます。
-
上杉謙信像(上越市埋蔵文化財センター)上杉謙信は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の戦国大名で、 後世、越後の虎や越後の龍、越後の獅子、軍神と称されました。 長年にわたる、武田信玄との川中島での戦いは、特に世に知られています。
-
天皇皇后両陛下歌碑平成16年(2004年)10月23日17時56分に発生した新潟県中越地震は、 震源にも近い、新潟県長岡市山古志にも甚大な被害をもたらしました。 平成21年に闘牛場が再建され、天皇皇后両陛下の歌碑が..
-
山古志闘牛場新潟県長岡市山古志に古くから伝わる、山古志の「牛の角突き」の会場。 牛への思いやりから生まれたルールがあり、勝敗をつけないことが特色で、 日本で唯一、国の重要無形民俗文化財に指定されているとのこと..
-
北越戊辰戦争西軍殉難者墓地北越戊辰戦争の時には、小千谷には新政府軍の本営が置かれ、 各地の戦いでの戦死者の遺体が小千谷に送られて来たそうです。 それらの戦死者の墓が、慈眼寺の近くの船岡公園にあります。
-
小千谷会談の間北越戊辰戦争開戦の直前、長岡藩の軍事総督河井継之助と 新政府軍の軍監岩村精一郎が談判したのが、小千谷にある慈眼寺。 その会見の間が、現在でも慈眼寺に保存されています。
-
慈眼寺新潟県小千谷市にある真言宗智山派のお寺で、天武天皇の白鳳年間に 薩明大徳によって、国家鎮護の道場として創建されたといわれています。 北越戊辰戦争の際には、小千谷会談がこの寺で行われました。
-
榎峠古戦場碑榎峠は長岡と小千谷の間にある峠で、北越戊辰戦争の時の激戦地。 開戦前は新政府軍が占拠していましたが、開戦直後に同盟軍がこれを奪取。 県道589号線沿いに、榎峠古戦場パークがあり、そこに碑があります..
-
物見の松跡北越戊辰戦争の際、新政府軍がこの地に本陣を置いたとのこと。 その時に長岡方面の情勢を探るため、兵士が松によじ登り、 敵情をみたことから「物見の松」と名づけられたそうです。
-
草生津渡し跡信濃川を渡る渡船場跡で、現在は長生橋が架かっています。 慶応4年(1868年)5月19日未明、長州藩決死隊約100名は、信濃川西岸 のこの付近から強行渡河し、中島に上陸を果たし、長岡城を攻撃しまし..