記事「日本の歴史」 の 検索結果 510 件
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黒船来航事件の誤解【巨大軍艦が江戸湾に】 1853年7月8日、浦賀に4隻の黒船が突如来航。初めて見るアメリカ人や大きな軍艦に幕府や市民は右往左往し、軍事力に恐れおののき開国、不平等条約が結ばされた。ー通常、学校で習..
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「青い目のサムライ・三浦按針」の話【家康の外交顧問となり日本の水先案内人に】 中学・高校の教科書により、私は「三浦按針」(ウイリアム・アダムス)についてはわずかな知識しかなかったが、今般日本にとって彼が重要な役割を果たしたことを知..
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2015 日本史大発見ランキング【目からウロコの大発見2015】 1/20放送のNHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリアー新常識!歴史NEWS2015 目からウロコの大発見」で、興味深い昨年の歴史発見ランキングが発表された。 ..
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「生類憐みの令」の見直し機運【5代綱吉「犬公方」の悪政か】 私の日本の歴史の不思議の1つは徳川5代綱吉による悪評高い「生類憐みの令」。教科書で伝えられるようなこんな悪法が本当にあったのか、にわかには信じがたい、である。最近歴..
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知らなかった「元寇」【何も知らなかった「元寇」】 「元」は、12世紀後半に、2度(文永の役・弘安の役)にわたり大軍で日本に攻めてきたが、2度も神風が吹いて元の船は沈没し、神国日本は勝利した ー「元寇」について、私が学..
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天下を取り損ねた「毛利輝元」【千載一遇のチャンス関ヶ原】 毛利輝元は、1553年広島生まれ。毛利元就の孫で長州藩の藩祖。11歳で家督を継ぐ。徳川家康と同じく豊臣政権の五大老の1人で、西国8ヶ国112万石の大大名である。 ..
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熊野速玉大社 熊野5新宮市は熊野の中心都市に思えた。木材の集散地として栄えた。中上健二、佐藤春夫はここの出身である。 熊野速玉大社に参詣する。 朱塗りの建物が美しい。 境内に..
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補陀洛山寺 熊野4熊野那智大社を海岸近くまで下って来ると補陀落山寺がある。この寺では観音様の南方補陀落浄土を目指して、生きながら渡海する補陀落渡海が行われていた。山形県で見た僧侶のミイラ、即身仏になるのと同じよ..
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青岸渡寺 那智滝 熊野3熊野那智大社の隣に青岸渡寺がある。もとは那智滝を中心に神仏習合だったものが、明治になって別々になった。神仏分離令では、お寺が姿を消すことが多い中で、こちらは残った。 青岸渡寺は那..
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大門坂から熊野那智大社 熊野2熊野三山の旅の始まりは那智大社から。大門坂を歩く。鳥居をくぐり、橋を渡ると石畳の登りの道になる。 石畳の道の両側にある夫婦杉。 登りはいなくて、下りの人とすれ違う。..
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エルトゥールル号の遭難と白蝶貝の採取 熊野1旅の始まりに、富士山が見えると嬉しくなる。 4月2日から5日まで熊野の旅。関空イン・アウトでレンタカーの旅。いつも通り、運転はお任せで、とっても快適。 西海岸を南下して潮岬..
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三渓園横浜に行く機会があるといつも三渓園に足を伸ばしたいと思っていた。でも、ちょっとアクセスが悪い。今回は三渓園を訪れる為に横浜に行った。何しろ桜の季節である。原三渓は生糸の取引で財を成した実業家で、この..