記事「日本」 の 検索結果 48348 件
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岸岳系唐津古窯・飯洞甕下窯ヱのⅠ福岡西区から唐津まで、福岡前原有料道路~西九州自動車道~二丈浜玉有料道路を通ると1時間もかからずに唐津に到着します。しかも現在は唐津市街の脇を通って松浦川を南下するルートが造られているようで、危なく..
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年末の有田陶山(すえやま)神社へ昨年末、駆け足で伊万里・有田・波佐見を回った際に、有田町の陶山(すえやま)神社に立ち寄り、「陶磁器安全」のお守りを頂いてきました。陶山神社は、有田町陶磁器メインストリートの皿山通り札の辻交差点から登..
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岸岳系古唐津・飯洞甕下窯ヱのⅡここで、唐津焼きとその時代背景について、私見も含みながら少しご披露させて頂きたいと思います。 波多氏と岸岳の麓の窯々 飯洞下窯を含む岸岳古窯は、上松浦党の盟主的存在であった波多氏の本拠地・岸岳..
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岸岳系古唐津・飯洞甕下窯ヱのⅢ前回に引き続き、唐津焼きとその時代背景について、もう少し書かせて頂きますね。 「岸岳くずれ」と寺沢志摩守広高 かくして文禄3(1594)年、波多三河守親(ちかし)は、豊臣秀吉の政略により、俸禄..
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伊万里系唐津・椎の峯窯ヱのⅠ車は岸岳からさらに南下を続け、伊万里市南波多町府招字椎の峰の、椎の峯窯へ向かいます。 椎の峯窯は、唐津藩主寺沢志摩守広高が元和元(1615)年に「岸岳くずれ」で四散し、波多の櫨(はぜ)の谷や大川..
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伊万里系唐津・椎の峯窯ヱのⅡその昔、強烈なイメージを覚えた本がありました。福田英雄 1976 「唐津・萩」 シリーズ太陽7 です。この写真を見て、『唐津に行ってみたいなぁ』と言う気になったのを覚えています。⇒本の撮影位置がよく..
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武雄系唐津・小峠窯ヱのⅠ車は進路を南東に向け、武雄市武内町へ向かいます。目印は「黒牟田窯」または「竹古場キルンの森公園・世界最大『飛龍窯』」などの道路標示で、これを辿ってゆきます。平古場公民館を過ぎると、途中道が大きく二手..
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武雄系唐津・小峠窯ヱのⅡ昔、小峠窯で道路工事中に採集した遺物を若干紹介します。但し採集遺物ですから、悪意を持って他窯のモノが捨てられていた場合、その判別については確証が持てません。 まずは絵唐津皿です。 ⇒1点目は底径..
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武雄系唐津・小峠窯ヱのⅢ続いて磁器片です。個人的に、小峠窯で磁器が焼かれていたのを知らなかった頃、この磁器片を見てびっくり仰天しました。小峠窯では当初に陶器を作り、後に陶器と磁器を作りましたが、『耐火度の高い陶石を使用しな..
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武雄系唐津・小峠窯ヱのⅣその他の種類の採集遺物(盗掘坑周辺で散乱していた遺物を含む)を若干ご紹介します。⇒黒唐津碗で、左下は素麺手です。黒釉は、釉中に含まれた鉄分により黒色に発色させたもので、鉄分の含有率により発色が変化し..
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武雄系唐津・小峠窯ヱのⅤ⇒その他の採集遺物として、サヤ・ハマなどの窯道具がありますが、これも貴重な資料です。 ⇒1点目は、大橋編年の第2グループ前半に位置するサヤ[慶長3(1598)~寛永14(1637)年の前半期]年で..
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武雄系唐津・内田大谷窯ヱ小峠窯から平古場に約250m程戻った地点に、国指定史跡の内田大谷窯の石碑があります。道筋からは何処が窯跡かよく分からないのですが、昔石碑近くの道端に陶器が散乱していたので採集しました(誰かが捨てたか..