記事「日経新聞」 の 検索結果 2587 件
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『登山大名』(180~185)「余も妙におもうた。父上が江戸へ参勤でもどる直前、母上は小石川の上屋敷から芝口の下屋敷へ移られた。父上は驚き、上屋敷へ帰るよう命じたが母は帰らず……下屋敷へ迎えにきた父上と母上が長いこと話しこ..
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『登山大名』(174~179)数日後、らんはわたしに耳打ちをした。 「乳香が失せました」 「部屋子にはたしかめたのか」 「むろん。箱にはふれておらぬ、と」 乳香をもっていたからといって切支丹だと断定はできない。..
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『登山大名』(168~173)明暦の大火は、これまで経験したことのない大災害をもたらした。大半が焼け野原と化した江戸は、焼けだされた避難民であふれ、おびただしい骸が埋葬もできぬままに放置されているという。幕府はお救い小屋..
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『登山大名』(162~167)第六章 女傑 明暦三年、一月も残すところあと二日、わたしは岡城本丸の御寝間で、らんと、水入らずのときをすごしていた。 国主が、突然、素性もわからぬ娘を拾ってきて寵愛するのである。いくらなん..
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『登山大名』(157~161)わたしは早速、家老の藤兵衛に谷にある二宇の修築を命じた。 「銅鐘と石像だが、人目につかぬよう、速やかに運ばねばならぬ」 「それこそ、大力宇目右衛門にはうってつけの役目かと……」 「ふむ..
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滝本太郎、発狂!!!!! ~ どことなくなんとなく快哉を覚える今般の広島高裁判決先ずは。 一昨日のハナザクロのリベンジから。 どう?少しは焦点があったかと思うんですが… っと噺行きましょう。 プライベートなこというなら、陽気のせいか(?)何かブルーが入ってましてね..
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『登山大名』(151~156)「では参ろうか」 天南和尚が参ろうといったのは西隣の英雄寺ではなく、東隣の高流院だった、ここにはさらに瞠目すべきものが隠されているという。 天南和尚は一行を導いて本堂へ入り、本尊の釈迦..
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『登山大名』(145~150)蔵人が去ったあとも藤兵衛はその場を動かず、なにか話したそうな顔をしている。 「おぬしへの遺言は耶蘇教だろう」 古田家は切支丹と縁が深い。 「殿は家督を継がれるや、早々に御条目を出され..
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『登山大名』(139~144)承応二年、父の訃報に茫然としつつも家督相続に付随する諸事をつつがなくこなしたわたしは、翌年の四月下旬に江戸を発ち、五月下旬には領国岡の地をふんだ。 四十歳の新藩主、中川久清として――。 ..
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『登山大名』(133~138)祖父秀成は、父親の中川清秀が賤ヶ岳の合戦で戦死し、兄の秀政が家督を継いだのち、豊臣秀吉から虎姫を正室に迎えるよう命じられた。虎姫の父親はなんと清秀を討ちとった佐久間盛政で、賤ヶ岳の合戦で敗け..
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『登山大名』(127~132)第五章 遺言 わたしにとって父久盛は、絶対的な支配者であり、目の前に立ちはだかる山でもあった。 子供のころのわたしは父の顔色をうかがい、嫌われまいと必死だった。 唐津藩では城主が酒乱の..
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『登山大名』(121~126)「瀬兵衛どの。御玄関まで送りましょう」 そんなことは初めてだったので驚きながらも、うながされるままに腰を上げた。 迷路のような廊下をとおり、御玄関の式台へ出る手前で母は足を止めた。こ..