記事「日経新聞」 の 検索結果 2587 件
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『黒書院の六兵衛』(233&234)「御徒町の大縄地でございましてよ」 初めて子守女の御奉公に上がったのは、このあたりの御屋敷であったと、お勢は歩きながら言うた。 大縄地は怖いぐらいに静まり返っていた。正月の鳥羽伏見で討死..
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『黒書院の六兵衛』(231&232)いかにお日和がよろしゅうても下谷稲荷町まで歩くのはことだと思うていたところ、神田川が御濠と合わさる船河原の河岸で、「えー、両国橋までお二人さん十六文」と声がかかった。 ハテどうしたものかと迷..
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『黒書院の六兵衛』(229&230)まあ、その話はともかく。 尾張大納言様のお顔ですから、誰もたしかにには存じ上げぬのです。 ましてや将軍様ならば、いったいどなたがそのお顔をご存じなのでしょう。その上様が、得心ゆかぬ御旗本..
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『黒書院の六兵衛』(227&228)エッ。エエッ。 何と、的矢六兵衛の正体は前(さき)の将軍家その人にまちがいないと申されますのか。 ――なるほど。奇怪千万にはござりますが、話にはさほど無理がない。そもそも上様は、かの水戸..
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『黒書院の六兵衛』(225&226)よくぞお話し下さいました。ええ、ええ、もちろん口外などいたしますものか。 でもね、お前さま。門長屋の静まりようから察しまするに、今ごろはどこのおうちでも同じ話をしておりましてよ。ですから女房..
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『黒書院の六兵衛』(223&224)その数日後、長く西の丸御殿の御用を務めた三十人の尾張衆は、暇(いとま)を得て市ヶ谷屋敷へと戻った。 長州人の官軍参謀からお達しがあったときには、これにて御役御免かと一同歓声を上げたが、「総督..
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『黒書院の六兵衛』(221&222)源一郎の息が荒くなり、よもやと思う間に懐中から手拭いを取り出して嘔吐いた。 源一郎の背をさせすりながら考えた。源一郎にとっては「上様」という貴人にほかならぬが、そうと気付かず尾張の御殿様に向..
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『黒書院の六兵衛』(219&220)上様は長く上野のお山の大慈院にてご謹慎あそばされたのち、本日未明に水戸へと落ちられたらしい。しかし誰が見たわけでもない。親しくお目通りしたのは、官軍との交渉を任されている勝安房守ひとりかもしれぬ..
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『黒書院の六兵衛』(217&218)内藤筑前守が旧幕中の名家に生まれついた選良であることは明らかである。もしや自分は、そうした出自の侍に嫉妬して、何でもかでも悪く見ていはしないかと隼人は省みた。 父子代々の徒組頭は軽輩とは言え..
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日経新聞・金井英之の『「いいスピーチでしたね」と言われる話し方 』日経新聞の広告の『「いいスピーチでしたね」と言われる話し方』の 著者の金井英之は、話し方教室の第一人者です。 その金井英之が65089人のあがり症を克服させたプロ直伝が、 こちらで公開してい..
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『黒書院の六兵衛』(215&216)「加倉井殿はいかように思われるか」 「福地君は二度にわたってヨーロッパに遊学し、発達せる世論公論にいたく関心を寄せております」 「下々に世情を知らしめるは結構である。しかし、拙者の職分に..
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『黒書院の六兵衛』(213&214)一同が御殿に戻ったのは火灯しごろである。 旧幕の侍たちがあらかた去った城内では、西洋軍服の官兵どもが見物気分でうろうろと歩き回っていた。 「ちと物を訊ねるが」 長門府中の者だが主君の詰..