記事「日経新聞」 の 検索結果 2588 件
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『等伯』(380&381)等伯は仕事場にこもって利休の肖像画に取りかかった。幸い他の注文はない。利休と親しかった等伯に仕事を頼んだら、三成や秀吉にどんな仕打ちをされるか分からない、と皆が戦々恐々としているのだ。 ..
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『等伯』(378&379)頭が白熱して何も聞こえない。等伯には、胴丸に毘の文字を大書した上杉家の兵しか見えなかった。 等伯が真ん中を打ち破ろうと、右手を大きくふり上げて突進しようとすると、その手をしっかりとつかむ..
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『等伯』(376&377)利休の首を戻橋にさらしたことが、そのひとつである。しかも磔にした木像に首を踏ませるという無惨なやり方だった。 さらに三成は、利休の妻子や弟子たちを徹底的に調べ上げ、悪事に加担していなかっ..
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『等伯』(375)翌二十六日、利休は上洛を命じられて葭屋町の屋敷にもどった。切腹を命じられたのは二十八日。この二日間、秀吉が処分を迷ったのは、各方面から助命嘆願があったからだ。 大政所や北政所。徳川家康や..
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『等伯』(373&374)堺有数の豪商である油屋は、独自の探索方をかかえている。 その調査の結果、夕姫は数年前に三条西家を出され、離別同然の扱いを受けていることが分った。 「な、なぜだ。実家の畠山家が没落したか..
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『等伯』(372)「あの書状を夕姫さまに渡してはなりません。しかしお前さまは迷っておられるようなので、わたくしが預からせていただいたのです」 「渡せ」 「嫌です」 「お前に何が分かる。何も知らずに勝手なこ..
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『等伯』(370&371)出発は夜になってからで、身内や弟子が見送ることも許されない。 だが利休の愛弟子だった細川忠興と古田織部だけは、ひそかに利休の後を慕い、淀の船着場まで見送った。 都でも利休の死罪が決ま..
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『等伯』(368&369)「治部さまは恐ろしいお方でございます。わたくしと長谷川さまがこの寺で会ったことばかりか、教如さまの肖像画のことで近衛太閤さまにお引き合わせしたことまでご存知でした」 三成はその事情を調べ上..
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『等伯』(366&367)「お忙しいのにご足労いただき、かたじけのうございます」 夕姫が丁重に礼を言い、仙洞御所のふすま絵のことでは迷惑をかけたと頭を下げた。 「わたくしは武之丞に三百両が必要だと申しました。その..
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『等伯』(364&365)「そやさかい、今日は長老に引導を渡してもろうたんや」 「しかし、それでは」 「信春、お前にとって治部とは何や」 「それは……」 「分からんか。そんなら長老にたずねてみい」 等伯は言..
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日経新聞 定期購読若手の研修で聞いてみると, 日経新聞を定期購読している人が少ないですね. 朝買う人も半分以下というのだから,さらに驚きます. 「ある日,日経は顔に出る」 かつてこんなコピーがありま..
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『等伯』(362&363)「姫さまから、これをお渡しするようにと」 初音がさし出した文には、明日午の刻、興臨院においでいただきたいと、たおやかな女文字で記されていた。 「窮地を脱する手立てを、話し合いたいとおおせ..