記事「日経新聞」 の 検索結果 2588 件
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『等伯』(334&335)等伯は拒み抜いた。 「さようか。ならばこの場で訴状を書く。それを玄以どのに取り次いでくれ」 武之丞は仕方なげに譲歩し、これだけは聞きとどけてもらうと凄んだ。 数日間思い悩んだ末に、..
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『等伯』(333)「どんな用件かも分からずに、引き合わせることはできません」 「実はな。六角承禎さまが、関白殿下のお伽衆になられた」 六角氏は近江源氏の名家で、源平争乱の時代に宇治川の先陣争いをした佐々木..
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『等伯』(331&332)「あるお方とは、どなたですか」 「勧修寺晴子さまだ」 「そのお方にお目にかかったわけではありますまい。どなたが仲介して下さるのかと、おたずねしているのです」 「それは、その……」 等..
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『等伯』(329&330)「そこで秀吉公は上皇さまに近付き、親王宣下の後押しをしていただくことになされました。対の屋の寄進はそのためのものなのです。 このために上皇さまと主上の間に波風か立ちつつあります。近衛太閤は愛娘..
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『等伯』(327&328)「ならば太刀と鷹をそえた絵にして下さい。父は鷹狩りが好きで、大空をゆく鷹をこよなく愛していましたから」 「承知しました。腰には二つ引両の紋の入った脇差をさして、高麗縁の畳に座しておられるところを..
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『等伯』(326)側には初音が控えていた。 「お久しゅうございます。このたびは無理なお願いをいたし、まことに申し訳ございません」 「本当になつかしいですね。わたくしのことを思い出していただき、大変嬉しく..
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『等伯』(325)「しかし、今さら畠山家の再興ができるのでしょうか」 「大名に復することは無理であろう。だが五千石か一万石をいただいて、家の存続をはかる道はある」 ひとつは畠山義綱を秀吉の御伽衆にしてもら..
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『等伯』(323)「以前にも申し上げたはずです。私は長谷川家に養子に出された身ですから、畠山家とは関係ありません」 「たとえどこにいようと奥村家に生まれたことに変わりはない」 「そんな話に惑わされて、十九年..
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『等伯』(323)客間に入ると、武之丞は当然のごとく上座についた。床の間を背にし、右足を投げ出して床柱によりかかった。 「利根坂の戦でひざに槍をくらった。それ以来曲がらぬ」 「あの戦では三千人ちかくの朝倉..
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『等伯』(321&322)等伯は決心がつかないまま数日悩み、心が膿んだような状態におちいった。 等伯がためらっているのは、夕姫には抗しきれないと分っているからだ。旧主の姫君であり、若い頃からあこがれた相手である。..
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『韃靼の馬』が第15回司馬遼太郎賞受賞決定昨日(12月15日)の日経新聞の夕刊に、『韃靼の馬』が第15回司馬遼太郎賞を受賞することに決まったという記事が載っていました。 《 作品の構想時には司馬遼太郎を意識 本紙朝刊に連載した..
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『等伯』(320)等伯はいったん自制を効かせて引きさがったが、心の底には諦めきれないものがあった。仙洞御所の桜の側に絵を添えれば、祖父無分以来の願いを成就できる。天下一の絵師という称号も欲しい。 だが、そ..