記事「日経新聞」 の 検索結果 2588 件
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小学館の『小学三・四年生』が休刊に本日の日経新聞朝刊に、『「小学三・四年生」休刊へ』という記事が載っていました。 《 「小学三・四年生」休刊へ ■小学館 大手出版社の小学館は1日、子ども向けの学年別学習..
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『等伯』(306&307)《第八章 永徳死す》 天正十八年(1590)の年明け早々から、洛中はざわめいていた。秀吉が小田原の北条氏を征伐すると触れ、諸大名に出陣の仕度を命じたからである。 争いの発端は北条氏と真..
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『等伯』(305)十六日に送り火と聖霊(精霊)流しを終え、翌日から三門の仕事にかかった。 信春が蟠龍図と昇り龍、降り龍を描き、久蔵が天人蔵と加陵頻伽を、千之介が仁王像と波図を受け持った。 十七人になっ..
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『等伯』(304)この年の二月五日、駿河、近江で地震が起き、大きな被害があった。これから七年後には、秀吉がきずいた伏見城を倒壊させるほどの大地震がおこるが、信春らは知る由もない。 服を汚したまま散乱した扇..
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『等伯』(302&303)「実は年末の行事が立てこんでおってな。十二月の初めに三門の落慶法要をいとなみたい。それまでに間に合わせてくれるか」 「承知いたしました。さっそく明日から仕事にかかります」 信春はその足で..
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『等伯』(301)(肝心なのは無理会に向かう修行者たちの気迫をとらえることだ) 三門を入る決断をし、身も世も捨てて修行に打ち込んだものだけが、無理会の處にたどりつき、御仏とひとつになることがでいる。 そ..
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『等伯』(300)三門の壁画の様式はほぼ決まっている。制約があるので描きやすい半面、過去の名作をなぞるだけの似通った絵になる危険がある。 この点、信春には強みがあった。長年絵仏師の仕事をしてきたので、定め..
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『等伯』(298&299)「残念ですね。久蔵はようやく筆使いをおぼえ、これから自分の絵を確立するだろうと楽しみにしていました。今去られては、これまでの苦労が水の泡です」 「勝手なことは重々承知しておりますが、久蔵はや..
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『等伯』(297)(松栄どのに頼んでみるか) と思ったが、すぐに無理だと打ち消した。ふすま絵の入札の一件以来、松栄と永徳は険悪な関係になっている。だが、他には二人の掛け橋となってくれそうな人物は誰もいない..
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『等伯』(294~296)(さあ、忙しくなるぞ) 翌日から信春は勇んで仕事にかかった。昨夜は嬉しさのあまり酒を飲みすぎたが、二日酔いなどと言っている場合ではなかった。 信春はあれこれと考え、ともかく一度三門の中..
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『等伯』(293)ふすま絵の前で宗園と利休が向き合っていた。 「ずいぶん思い切ったことを仕出かしたもんやな」 利休が先に声をかけた。 「申し訳ございません。どのような処罰を受けようと、悔いはありません..
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『等伯』(291&292)自画像を描くのではない。自分が描くすべての絵が、在りのままの自分なのだ。 信春はそのまま大徳寺に向かったが、あいにく長老は留守だった。 昼時分になっても宗園はもどらなかった。桐紋を雲..