記事「日経新聞」 の 検索結果 2588 件
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『等伯』(229)信春は十二年前の記憶をたどった。 信忠勢の足軽たちに襲われた時、面頬をつけた騎馬武者が助けてくれた。 「もしや、あの騎馬武者は」 「そうです。信春公の使い番をつとめていたので、武左..
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『等伯』(227&228)それから数日後―。 「長谷川先生、お客さまです」 清子が血相を変えて取り次ぎに来た。 「十人ばかりの共をつれたお武家さまです。前田さまとおっしゃいました」 「心当たりがないな。ど..
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『等伯』(225&226)「奥さまの絵は、まだでき上がらないのですか」 「どうもいかん。もう七回忌も終わってしまった」 「そうですか。よく描けてますけど」 「けど、か。その先の批評が聞きたいものだ」 「いいんで..
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『等伯』(224)信春が目下取り組んでいるのは、ダ・ヴィンチの『ジョコンド婦人』だった。フィレンツェの商人ジョコンドの妻であるエリザベッタを描いたもので、今日では『モナ・リザ』の名で知られている。 「ダ・ヴ..
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『等伯』(222&223)天正十三年(1585)の夏、長谷川信春は堺の油屋にいた。 久蔵と二人で知り合いの寺を転々とし、仏画やふすま絵などを描いて喰いつなぐ暮らしが三年つづいた天正十年(1582)の六月、宿敵信..
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『等伯』(220&221)「私の苦しみは、絵師になるために自分で選んだものだ。だがそのために、お前に辛い思いをさせてしまった」 「辛いと思ったことは一度もありません。あなたの絵が上達していくのを見るのが、わたくしの喜..
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『等伯』(218&219)夜が明けた。天正七年(1579)六月十二日。永訣の朝だった。 信春は静子の枕辺をそっと離れ、厠に向かった。僧坊の縁側から天筒山が見えた。 兄武之丞は今頃どうしているだろう。信長軍..
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健康維持先日の日経新聞に 健康維持のため1ヶ月いくら使うか という記事(アンケート)が掲載されていました。 アンケート結果は・・・ 3000円未満 35% 300..
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『等伯』(126&127)三方ヶ岳のふもとまで進み、沓掛を通って山の尾根にたどりついた。近江と越前の国境である。 尾根を下りてしばらく進むと麻生口に着く。ここから東へつづく道を行くと、北国街道に合流する。その途..
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『等伯』(123~125)既に初夏だが、湖上を渡る風はひんやりと心地よかった。 左手には近江坂本の町が広がり、明智光秀がきずいた坂本城が湖上に優雅な姿を見せていた。城の背後には比叡山がつらなり、根本中堂や横川中..
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『等伯』(212)「この手形があれば、琵琶湖を通って敦賀まで行くことができます」 「すみません。路銀までいただいて」 「あのふすま絵を、油屋で買わせていただきます。その手付けだと思って下さい」 信春はす..
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『等伯』(209~211)「しかし皆さん、本当に恐ろしいことが起こったのはこの後でした。私たちは仏殿の片隅に集められ、日光(王+光)さま、日諦さま、日淵さんが信長公の前に引きすえられたのです。後ろ手にねじり上げ、首筋をつか..